父であるイザナギに葦原中国から追放されることとなったスサノオは、根の堅州国へ赴くことになりましたが、その前に、その事情を姉であるアマテラスに伝えるため、天に参上することにしました。
すると、山や川がどよめき、国土が震えました。アマテラスはその音を聞いて驚き、スサノオが自分の国を奪いにやってきたに違いない、と思います。
アマテラスのもとへ参上するスサノオの段・本文
速須佐之男命言
速須佐之男命言は、ここでは、古事記伝に従い、「イザナギに言った」としていますが、「独り言として言った」と取ることもできます。前段からのつながりはこうなっています:
爾に伊邪那岐大御神、大く忿怒らして、「然らば汝、此の国にはな住みそ」と詔りたまひて、乃ち神やらひにやらひ賜ひき。故、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀になも坐します。故、是に速須佐之男命の言したまはく、「然らば、天照大御神に請して罷りなむ」とまをしたまひて、乃ち天に参上ります時に、山川悉に動み、国土皆震りき。
「独り言として言った」と解釈するならば問題はないですが、「イザナギに言った」と取るならば、「神やらひに〜イザナギが多賀になも坐します」の部分とこのスサノオのせりふが前後していることになります。しかし、ここから先はイザナギをおいてどんどん物語が進んでいきますので、ここにイザナギのその後についての一文を挿入した、と見ることができます。
請
請は、まをす、と訓みます。申すの意です。請の字をこう訓ませた例は日本書紀にもいくつかの例があります(雄略紀、推古紀など)。ここではスサノオがアマテラスに事情を告げることを指します。
山川悉動
山川悉動は、「山川」は「山の川」ではなく、「山と川」です。「動」は「とよむ」と訓みます。「鳴り響く」という意味です。八千矛神の歌に「あをやまに ぬえはなきぬ さのつとり きぎしはとよむ」(神代記)、万葉集に「大海之 水底豊三(とよみ) 立浪之」(七・一二〇一)、「雷神 小動(すこしとよみて) 刺雲」(十一・二五一三)など、多くの例があります。
国土皆震
国土皆震は、上の山川悉動と対句表現になっていますが、「国土」(くにつち)は「国」と「土」の二つに分けるのではなく、まとめて「地」という意味です。「震」は「ゆる」とも「ふる」とも訓みます。
我那勢命
我那勢命は、「那勢」は「なせ」で、女性から夫や男きょうだいなどを親しみをこめて呼ぶ呼び方です。逆に、男性から妻や女きょうだいを呼ぶときは「なにも」です。イザナギ・イザナミも互いをそう呼び合っていました。
善心
善心は、うるはしきこころ、と訓みましたが、よきこころ、とも訓みます。書紀の同じところでは善意(よきこころ)とあります。
「うるはし」は古事記に「愛友」、書紀に「友善」「腹心」「連和」の用例があり、人と人、国と国の間柄や交際が親密できちんと整っているさまを表します。また、倭建命(やまとたけるのみこと)の歌に、
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭しうるはし
とあり、この「うるはし」は「なつかしい」という意味になります。いずれにせよ、「うるはし」という言葉は、それを発する人にとって親密さを感じさせる対象に使われるものです。対する言葉は「邪心」です。
欲奪我國耳
欲奪我國耳は、我が国を奪はむと欲(おも)ほすにこそあれ、と訓読します。「我が国」は高天原のことです。
漢文では通常、「耳」を「のみ」と訓読しますが、宣長は「常の如く能美(のみ)と訓ては、古語にかなはず、別に訓べき格(さま)あり」として、このように訓読し、「許曾(こそ)と云に、耳の意はあるなり」としています。そして、その理由を、「此の字、能美(のみ)と訓むまじき所以は如何といふに、凡て皇國語には、能美(のみ)は中間(なから)にのみ在ことにて、終(はて)を此の辞にて結(とぢ)むることなければ、古語にかなはざるなり」と説明しています。
つまり、語尾に「〜のみ」と言うのは漢文訓読のために考え出された訓法で、古い日本語では「のみ」は語尾に使われることはなく、語中でしか使われなかった、ということです。もし通常の漢文のように訓むならば、これは「我が国を奪はむと欲(おも)へらくのみ」
となり、全集記ではこう訓読しています。
なお、歌中においては、
ささらがた 錦の紐を 解き放(さ)けて 数(あまた)は寝ずに 唯一夜のみ(允恭紀)
うち日さす 宮道(みやぢ)を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ(万・十一・二三八二)
あぢの住む 渚沙(すさ)の入江の 荒磯松(ありそまつ) 吾を待つ児らは ただ一人のみ(万・十一・二七五一)
など、「のみ」が語尾に使われた例はあります。ただし、これらはいずれも歌であって、通常の書き言葉や話し言葉についての上の宣長の指摘をさまたげるものではありません。
御美豆羅
御美豆羅は、「美豆羅」は「みづら」で、男性の髪型です。長く伸ばした髪を左右に分けて、耳の上で結いわがねるものです。埴輪の男子像などでおなじみの髪型です。黄泉の国の段で、イザナギが自身の左右のみづらに挿していた櫛を使う場面がありました。
御鬘
御鬘は、髪飾りのことです。古くはつる性植物を用いました。黄泉の国の段で、イザナギが黒御鬘を投げ棄てると、蒲子(えびかづらのみ、山ぶどうの実)が生ったという場面がありました。またこのことから、この御鬘は山ぶどうのつるでできたものと考えられることにも触れました。
八尺勾玉、五百津、美須麻流之珠
八尺勾玉、五百津、美須麻流之珠は、勾玉(まがたま)とは、Cの字に曲がった玉のことで、翡翠・水晶・瑪瑙・ガラス・獣の牙など様々な材質のものが知られています。このCの字形の太い方の端に穴を穿ち、そこに緒を通して束ねたものを身に着けました。
八尺(やさか)は「とても長い」ことを意味する言葉で、勾玉自体のことをいうとする説もあるようですが、ここは緒の長さのことと解するのが自然であると思われます。「八尺勾玉」だけで、勾玉をいくつも長い緒につらねたもの、という意味になり、ここでは「八尺勾玉=五百津のみすまるの珠」です。
次の「五百津」(いほつ)は、たくさんの、という意味で、「つ」はひとつふたつの「つ」です。
「美須麻流」(みすまる)は書紀では「御統」と書かれています。「統」(すまる)は、一すじにつらなるもの(血統・伝統など)、一つにまとまったもの(統一・統計など)、を意味する言葉で、ここでは勾玉が緒によって数珠つなぎにまとめられている様子を表しています。おうし座のプレアデス星団の古名である「すばる」(昴)も同語源です。
なお、勾玉は単なる装飾としての意味だけではなく、呪術的な威力を持つものと信じられていました。ここでも、武装するのにこの勾玉を身に着けたのは、その威力を誇示する意味があったと考えられます。
のちに、八坂瓊(やさかに)の曲玉が三種の神器の一つとされるのも、その呪術的・宗教的威力が深く信じられていたためと考えられます。
(1.5.3 須佐之男命の昇天(2)に続きます。)