想定するユーザー
対象となる読者は、古事記に興味のある人すべてですが、特に
- 「古事記に興味があるけれど、古い言葉で書かれてあって敷居が高そう」
- 「昔読んだことがあるけど、もう忘れてしまったから読み直したい」
- 「なんとなくどんな話かは知っているけれど、もう少し詳しく知りたい」
- 「古事記をより面白く読むためのポイントを押さえたい」
- 「古事記を読むのに必要な基礎知識を身につけたい」
- 「ストーリーだけでなく、作品世界の背景も知りたい」
- 「古事記を通じて古い日本語を学びたい」
などといった人を想定しています。いずれにしても、古事記という一つの書物を窓として、より広い世界を見ようとする心を持った人であれば、どなたでも大歓迎です。
サイトの構成
このサイトでは、古事記という日本最古の書物を、原文・訓読文・現代語訳を通じて読み進めて行きます。その際に、通りいっぺんの訳をつけておしまいにするのではなく、文中に現れる言葉や表現の一つ一つを可能な限り理解しながら読んでいくことになります。いわゆる注釈を施しながら、ということです。
古事記の注釈として、歴史的にも内容的にも、最も価値があるとされているのは、本居宣長による「古事記伝」です。当サイトでは、後世の多くの注釈書がそうであるように、基本的なフォーマットはこの古事記伝に負っています。
ただし、宣長の生きていた江戸時代から現代までの間に、古事記の研究は格段の進歩を遂げ、古事記伝の解釈には多くの誤りや不備が指摘されており、また当時は不明だったことも多く明らかにされてきています。
そのような現代的観点からの注釈の基準として、西郷信綱の「古事記注釈」を採用しています。西郷氏は他にも古事記や神話に関する多くの著作のある、優れた研究者です。このサイトでは、トップページにあるとおり、古事記全体を四つの部+太安万侶の序文に分けていますが、これはこの「古事記注釈」に従ったものです。
序文について
序文は本来冒頭にあるもので、古事記伝でも古事記注釈でも最初に扱っていますが、当サイトでは最後に回しています。序文は古事記という文献の成立の事情を述べたものであり、古事記本文の内容とは直接の関わりはありません。
古事記という作品の成り立ちや性質を全体として論じる立場からは、非常に興味深く、問題も多いと言われる序文ですが、当サイトでは、本文の通読を優先する立場から、あえて後回しにすることにしました。
筆者も古事記を読み始めたときは序文を後回しにして本文から入ったのですが、それで特に困難は生じませんでした。むしろ下手に序文にまつわる様々な言説を知った上で本文に手をつけてしまうと、素直に読んで楽しむ際の妨げになってしまう恐れがあるのではないかと、個人的には思っています。
当サイトの目的は、あくまで古事記に描かれた神話を物語として鑑賞する手引きとなることであって、「古事記とはこういう成り立ちの、こういう歴史的意義を持つ書物だ」ということを論じることではありません。
たとえば、序文は後世に付け加えられたもので、したがって古事記は偽書である、というような説があるようです。
しかし、古事記の仮名遣いなどから、これが序文に記された成立年(和銅五年、712年)を下らない古い時代の書物であることはほぼ確実であり、たとえ古事記が本当に偽書で、その成り立ちが序文に書かれたようなものではなかったとしても、現存する日本最古の書物であり明文化された神話であることに変わりはなく、その本文の内容のみに着目しても、その価値が日本文学史上、比類のないものであることは明らかです。
神話や物語や文学の価値は、その成り立ちや由来によってではなく、その叙述の内容そのものによって決まるものです。
参考文献について
このサイトを作成するに当たっては、上述の古事記伝、古事記注釈以外にも、数多くの文献を参照しました。記事本文において、引用文には原則として出典を明記するようにしましたが、それ以外の現代語訳や校訂や注釈において参考にした文献については、こちらに一括して掲載しています。
このサイトの記事を読んで、さらに深く古事記を学びたいと思った方は、そちらに挙げられている文献を当たってみることをお勧めします。広大無辺の大海、という表現がぴったりの、古事記にまつわる世界の途方もない広さ、深さを垣間見ることができると思います。
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