イザナギの禊ぎも佳境です。着衣を投げ捨て、瀬の中に潜り、左目を洗うとアマテラスが、右目を洗うとツクヨミが、鼻を洗うとスサノオが生まれました。
アマテラスが女神で日神、ツクヨミが男神で月神という点が非常に特徴的です。アマテラスとスサノオの二神が、今後大きく物語を動かしていくことになります。
なお、イザナギによる筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原での禊ぎにより、合計十四柱の神々が生まれたことになります。
アマテラス・スサノオ・ツクヨミの誕生の段・本文
洗左御目・洗右御目
洗左御目・洗右御目は、古事記においては、左右を述べるときは、一貫して左から始まります。左手・右手、左足・右足、左の御みづら・右の御みづら、左の御手の手纏・右の御手の手纏、といった具合です。記紀編纂当時の日本では、右よりも左の方が尊ばれました。みとのまぐはひの段で天の御柱を男神が左に、女神が右に廻ったことや、この段でも左がアマテラスで右がツクヨミであることにも、その観念が反映されています。
天照大御神
天照大御神は、あまてらすおほみかみ、と読みます。「てらす」は「天を照らす」という他動詞の意味ではなく、自動詞「てる」の尊敬表現とも、そのまま「てらす」自体が自動詞であるとも考えられます(風吹く、雪積むなどの「吹く」「積む」は自他どちらにも用いるのに同じ)。「天にあって、照り輝く大神」という意味です。
日本書紀本文に「大日貴」(おほひるめのむち)、分注に「一書云、天照大神。一書云、天照大日尊」と出てきます。「ひるめ」とは「日る女」で、日神に仕える巫女の意であるという説があります。
また、後で見るように、天照大御神は皇室の祖先神でもあります。これらの事から、この大神は、皇祖神・太陽神・太陽に仕える巫女という属性が複合された神格と見ることができます。古代の日本においては、卑弥呼が有名ですが、政治的君主であることはすなわち巫覡(ふげき)でもあることであり、天照大御神にそのような性格が付与されているのは理解できるところです。
大日貴と天照大御神ですが、古代日本には太陽祭祀が各地で行われていたことをうかがわせる徴証があり(延喜式に見える各地の日向・日置神社、日祈内人・日祈御巫の存在、大系紀補注より)また天照大御神という名の抽象性(天・照・大・御のすべてが具体性に乏しい美称)から、大日貴の名前の方が、この神の元々の古い性格を宿していると考えられます。
天照大御神は、「ひるめ」の性格の上に、皇室神話を構成する過程で、各地にあった太陽信仰が統一されていき、また皇祖神という性格が付与されることによって、新たに形成されていった神格であろうと考えることができます。
月読命
月読命は、つくよみのみこと、と読みます。「つくよみ」とは「つく」(月)を「よむ」(数える)という意味です。同様に、「か」(日)を「よむ」ことを「かよみ」、転じて「こよみ」と言います。古くは月の満ち欠け(月齢)によって時が測られていました。まだ日本に文字がなかった時代、「よむ」とは「字を読む」ことではなく「数える」という意味でした。
日本書紀の一書では、保食神(うけもちの神)を剣で斬り殺したのがこの神であるとされています(古事記ではスサノオがオオゲツヒメを殺したことになっています)。また、万葉集に、月のことを「月読壮士」(つくよみをとこ)、「月人壮士」(つきひとをとこ)などと出てくるところから、月は男性と結び付けられていたことが分かります。
太陽が女性(陰神)で、月が男性(陽神)というのは、中国の陰陽の原理には矛盾しますが、陰陽思想の流入以前は、これが古代日本人の本来の日と月に対する観念だったようです。
建速須佐之男命
建速須佐之男命は、たけはやすさのをの命、と読みます。一般に「スサノオ」として知られる神です。「建」(たけ)は「たけだけしい」で、「速」は速秋津日子・比売の速と同じで、勢いが盛んなさまを表します。
「須佐」(すさ)ですが、これには大きく二通りの解釈があります。一つは「すさぶ」「すさまじい」などの「すさ」で、荒々しく、勢いのままに行動するさまを表しているというものです。下の段以降にその様子を見ていくことになりますが、これはこの神の性格を非常によく表しています。
もう一つは、出雲地方の地名「須佐」に由来するというものです。出雲国風土記の飯石郡須佐郷の条に、神須佐能袁命(かむすさのをの命)が、自分の御魂を鎮座させ、大須佐田・小須佐田を定めたので、この地が須佐と呼ばれるようになった、という地名由来説話があり、さらにこの神を祭ったとされる須佐社の名が挙げられています。
実際には、(地名起源説話の通例として)須佐という地名がまずあって、そこから神名や伝承が生まれたという順序になっていると考えられますが、いずれにせよ、この須佐の地において、その地に鎮座し、祭られている神が神須佐能袁命でした。
これらの二つの説は、どちらが正しいというものではなく、出雲国風土記においてのスサノオは須佐の地と結びついた土地の神で、古事記においてのスサノオは荒々しくすさぶ神という意味を名に負った神である、ということです。
もしかすると、スサノオという神名自体は出雲の地が発祥で、それが記紀神話に取り入れられて、物語に合わせてその属性や性格も再構成された、ということがあったのかもしれません。しかし、そうやって作り上げられた古事記におけるこのスサノオは、風土記に出てくるスサノオとは別の神になっています。
大元の由来が何であるにせよ、事実として、古事記におけるここまでの神は、土地とのかかわりではなく、もっぱらその機能とのかかわりで名付けられており、ここに出てくるスサノオも、地名ではなく、「すさぶ男神」という属性を名に負ったものとして登場してきた、と捉えるのが自然だと考えられます。