そこで速須佐之男命はやすさのおのみこと天照大御神あまてらすおおみかみに、「私の心は清く明るいから、私の生んだ子は女子だった。これによって言えば、当然私の勝ちだ」と言って、勝ちに乗じて天照大御神の耕作する田の畔(あぜ)を壊し、灌漑用の溝を埋め、また大御神が新嘗の新穀を食べる御殿に糞をしてまき散らした。
 しかし、それでも天照大御神はそれをとがめだてせずに、「糞のようなものは、酔ってへどを吐き散らそうとして、我が弟の命はそうしたのでしょう。また、田の畔を壊して灌漑用の溝を埋めたのは、土地がもったいないと思って、我が弟の命はそうしたのでしょう」と善い方に言い直したものの、なおその悪い行いは止まず、ますますひどくなった。
 天照大御神が、神聖な機屋はたやにいて、神に献上する御衣を機織り女たちに織らせていたときに、速須佐之男命がその機屋の棟に穴をあけて、ぶち入りの馬を逆剥ぎにして落とし入れたところ、機織り女はこれを見て驚き、で女陰を突いて死んでしまった。そして、天照大御神はそれを見て恐れて、天の石屋いわやの戸を閉じて中にこもった。

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(前の記事の続きです。前記事は1.6.1 須佐之男命の勝さび(2)です。)

如屎

如屎は、くそなす、と読みます。「なす」(如す)は「くらげなすただよへる」の「なす」で、「〜のような、ように」の意味で、「似す」(にす、なす)から来ています。

ここでは、アマテラスが、スサノオの屎を、「屎のようなものは、酔って吐き散らした嘔吐物でしょう」と善い方にとらえて「詔り直し」をしています。

阿多良斯

阿多良斯は、あたらし、と読みます。惜しい、もったいない、という意味です。

現代語の「新しい」に当たる古語は「あらたし」で、元々この「あたらし」に「新しい」の意味はありませんでしたが、早くも平安時代には混同されるようになり、現代のように「新しい」の意味にも用いられるようになったようです。

この詔り直しの意味は、田になるべき土地を畔や溝にしておくのはもったいないと思い、それで畔を壊して溝を埋め、その土地も田にしようとしたのだろう、ということです。

詔雖直

詔雖直は、詔り直したまへども、と訓読します。「詔り直し」とは、悪いことを良い方に言い直すことです。延喜式の大殿祭祝詞に、

言壽(ことほ)き鎮めまつる事の漏れ落ちむ事をば、神直日(かむなほび)命・大直日命、聞き直し見直して、平らけく安らけく知ろしめせ。

とあります。これは、神を鎮め祭る言葉や幣帛に不足や過ちがある場合には、それを見聞きして直して、という意味です。また、書紀の一書には、

「日神、恩親しき意にして、慍(とが)めたまはず、恨みたまはず。皆平(たひらか)なる心を以て容(ゆる)したまふ。(神代紀・第七段・一書第二)

とあり、これをアマテラスのスサノオに対する温情であるとし、宣長もそれに従っています。

一方で、詔り直しの意味は、屎を屎として認めないことでけがれを回避することが主眼であって、スサノオに対する寛容や温情の問題ではないとする説もあります(全集記)。

は、うたて、と読みます。自分の心情や意志と関係なく、物事がどんどん展開していくさまを表します。多くは良い方ではなく、悪い方に物事が進んでいく場合に用いられます。

この言葉は、「うたてあり」「うたてし」(つらい、情けない、嘆かわしい、いやだ、気の毒だ、不快だ、気味が悪い)と派生していきます。万葉集に多くの用例があり

何時(いつ)はなも 恋ひずありとは あらねども うたてこのころ 恋し繁しも (十二・二八七七)

は、自分でもどうしようもなく恋心が激しくなっていることを歌っています。また、

若月(みかづき)の 清(さや)にも見えず 雲隠れ 見まくそ欲(ほ)しき うたてこのころ (十一・二四六四)

は、雲に隠れた三日月のように見ることのできない恋人を見たい気持ちがますます強くなっている、ということです。これらの歌では「うたて」に善悪はなく、「しきりに、いよいよ激しく」といった意味で使われています。

悪い意味に使われている例としては、ここのスサノオの狼藉ぶりに対するものの他、

うたて物云ふ王子(みこ)ぞ。故、慎しみたまふべし。 (安康記)
(いやな事を言う王子です。なので、お気をつけください)

などがあります。善い意味に使われている例としては、万葉集の

わが屋前(やど)の 毛桃の下に 月夜さし 下心良し うたてこのころ (十・一八八九)

があり、毛桃の下に月がさして、このごろは心がとても愉快だ、という意味です。

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忌服屋

忌服屋は、いみはたや、と読みます。すぐ下にでてくる「神御衣」を織るための神聖な機屋のことです。書紀には斎服殿(いみはたどの)・織殿(はたどの)とあります。

類聚名義抄では「斎」「忌」をともに「いむ」と訓んでおり、いずれも身を清め慎むことを意味します。「いむ」ことにより神聖性が保証されることから、この忌服屋のように、「忌」「斎」清浄で神聖な事物に冠する辞として使われます。延喜式の大殿祭祝詞に、

部(いみべ)の斧(いみをの)をもちて伐り採りて・・・(いみすき)をもちて柱(いみばしら)立てて、云々

とあり、皇御孫命の御殿を造るための道具や材料の神聖性を表しています。

さて、ここではアマテラス自らが忌服屋にいて、神御衣を織らせています。書紀本文にアマテラスの別名として「大日貴」(おほひるめのむち)、「大日尊」とありますが、折口信夫はこの「ひるめ」は「日る女」つまり太陽神に奉仕する巫女であると考えました。

紀一書(第一)を見てみると、「稚日女(わかひるめ)尊が斎服殿で神之御服(かむみそ)を織っていて、梭で怪我をして神避ってしまった」とあるのが、同じ段の本文では、「アマテラス自身が梭で怪我をしてしまった」となっています。

つまりこの稚日女尊は「天照大神のようでもあり、そうでもないようにも見える」(大系紀)存在として描かれています。稚日女尊は下に出てくる衣織女にあたり、日の神に奉仕する巫女でした。

これらのことから、このくだりにはアマテラスの巫女としての面影が色濃く映し出されていることが見てとれます。その結果、アマテラスは、

  • オシホミミ・ホノニニギから連綿と続く皇統の祖神であり、
  • 高天原と葦原中国を照らす太陽神であることに加え、
  • 太陽神に奉仕する巫女の神格化としての属性を持つ。

アマテラスはこれら三つの要素が複合して成り立っている神格であることが確かめられます。

なお、天皇にあっては、大嘗や新嘗で新穀を食べるのは神と共食して収穫への感謝を表すためですが、ここでアマテラスが大嘗をきこしめすのは、自らが高天原の主宰神として行っているものになります。

神御衣についても、当然それを受ける立場にあるはずなのに、自らがそれを織っているという一見矛盾した状態になっているのも、この神の複雑な来歴を物語っていると言えます。

神御衣

神御衣は、かむみそ、と読みます。神に献上する御衣です。これを織ることは神に仕える巫女の仕事でした。したがってアマテラスは巫女でもあるということになります。

伊勢神宮に神衣祭というものがあり、延喜式と皇太神宮儀式帳によると、これは毎年四月と九月に、服織部(はとりべ)氏の織女八人が和妙(にきたへ、絹布)を、麻績(をみ)氏の織女八人が荒妙(あらたへ、麻布)を、潔斎してから祭月一日より織り始め、十四日の祭にてこれを献ずる、というものです。その祝詞は、

度会の宇治五十鈴川に大宮柱太敷立て、高天原に千木高知て、称辞竟奉る天照坐皇太神の太前に申く、服織、麻績の人等の、常も奉仕る和妙、荒妙の織の御衣を進事を申給と申。

です。つまり、この神衣祭というのは、潔斎した織女たちが巫女として和妙荒妙を織り、それを天照大御神に献ずるものであり、この織女たちの姿はまさにこの忌服屋で神御衣を織るアマテラスの姿に重なります。

したがって、この場面はこの伊勢神宮の神衣祭を神話として反映したものであると見ることができます。

なお、宣長は「此は大御神の御手自(みてづから)織たまふには非ず、衣織女をして織しめ給ふなり、【書紀も同じことなり、然るを、御手づから織たまふと云説は誤なり、文に心を付て見よかし】」としていますが、書紀本文には、

天照大神の、方(みざかり)に神衣を織りつつ、斎服殿に居(ま)しますを見て、云々

とあることから、アマテラス自身も忌服屋で織っていたと考えることも、あながち間違いとは言えないと思います。

1.6.1 須佐之男命の勝さび(4)に続きます。)