そして、それぞれがあめやすかわを挟んでうけいをする時に、天照大御神あまてらすおおみかみが、まず建速須佐之男命たけはやすさのおのみことの佩いている十拳剣とつかつるぎを乞い受け、それを三つに打ち折り、玉の緒がゆらゆら揺れて音を立てるほどに、天の真名井まないの水に振りすすいで、噛みに噛み砕き、吐き出した息吹の霧に成った神の御名は、多紀理毘売命たきりびめのみこと。またの御名は奥津島比売命おきつしまひめのみことという。次に市寸島上比売命いつきしまひめのみこと、またの御名は狭依毘売命さよりびめのみことという。次に多岐都比売命たきつひめのみこと三柱。
 速須佐之男命が、天照大御神の左の御みずらに巻き付けていた八尺の勾玉をたくさん長い緒に通して作った玉飾りを乞い受け、玉の緒がゆらゆら揺れて音を立てるほどに、天の真名井の水に振りすすいで、噛みに噛み砕き、吐き出した息吹の霧に成った神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
 また、右の御みずらに巻き付けていた珠を乞い受け、噛みに噛み砕き、吐き出した息吹の霧に成った神の御名は、天之菩卑能命あめのほひのみこと
 また、御かずらに巻き付けていた珠を乞い受け、噛みに噛み砕き、吐き出した息吹の霧に成った神の御名は、天津日子根命あまつひこねのみこと
 また、左の御手に巻き付けていた珠を乞い受け、噛みに噛み砕き、吐き出した息吹の霧に成った神の御名は、活津日子根命いくつひこねのみこと
 また、右の御手に巻き付けていた珠を乞い受け、噛みに噛み砕き、吐き出した息吹の霧に成った神の御名は、熊野久須毘命くまのくすびのみこと。合わせて五柱。

クリックで訓読文
クリックで原漢文
クリックで言葉

Sponsored Link

(前の記事の続きです。前記事は1.5.4 天の安の河の誓約(1)です。)

吹棄氣吹之狹霧

吹棄氣吹之狹霧は、「吹き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)」、と訓読します。書紀に「吹棄氣噴之狹霧」、訓注に「浮枳于都伊浮岐能佐擬理」(ふきうつるいふきのさぎり)とあるのによります。

「棄」を「うつ」と訓む例に、八千矛神の歌の「はたたぎも これは適(ふさ)はず 邊つ波 そに脱き棄(う)て」などがあります。

「気吹」は息吹です。「息」(いき)と「生き」は同語源で、息吹は生命を意味します。また、しばしば霧と結びつけられ、例として、

大野山 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる(万・五・七九九)

君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ(万・十五・三五八〇)

猪鹿多(さは)にあり。云々、呼吸気息、朝霧に似たり(雄略紀)

などが挙げられます。

このうけいに出てくるものや行為について、大系紀は「井の水、揺り動かす行為、気息・霧はすべて、物の誕生を促すもの。ここに示された行為の描写は、呪術者の行為を模したところがあるのではなかろうか」と注しています。

多紀理毘売命、奥津島比売命

多紀理毘売命、奥津島比売命は、それぞれ、たきりびめのみこと、おきつしまひめのみこと、と読みます。この神以下の三神は、アマテラスがスサノオの十拳剣をさがみにかんで、吐き出した気吹の狭霧に成った神です。

書紀には田心(たこり)姫・田霧(たきり)姫とあります。「た」は接頭辞で、気吹の狭霧から成ったことによる名と考えられます。「たこり」「たきり」の「こ」と「た」はいずれも乙類の仮名で交替する可能性があり、もともとは「たきり」だったのが「たこり」に転じたとする説があります(大系紀補注)。別名の奥津島比売命は、福岡県宗像市の沖ノ島に祭られていることによります。

市寸島比売命、狭依毘売命

市寸島比売命、狭依毘売命は、それぞれ、いつきしまひめのみこと、さよりびめのみこと、と読みます。書紀では市杵島姫とあります。大系紀では、万葉集(四・五一三)に「市柴」を「いつしば」と訓んでいるのにならい、これを「いつきしまひめ」としています。さらにこの「市」について、万葉集大系本は、「市は独立した名詞としてはイチというが、古形はイツと考えられる。従って複合語ではイツとよむ。ウチ(内)→ウツモモ(内股)、クチ(口)→クツワ(口輪)の類」と説明しています。

この神は宗像大社の祭神の一柱ですが、延喜式神名帳にある安芸国佐伯郡の伊都伎嶋(いつきしま)神社(今の厳島神社)の祭神でもあります。「いつき」は「斎き」で、心身を清浄にし、神を大切にしてこれに仕えることを言います。神を斎き祭る島(もしくは島そのものが斎き祭られる対象)だったことからの命名と考えられます。

別名の狭依毘売命の「さ」(狭)は接頭辞、「より」(依)は神が依りつくの意で、この神名は神をいつき祭る巫女からの連想に基づくものと考えられます。

多岐都比売命

多岐都比売命は、たきつひめのみこと、と読みます。書紀では湍津姫(たぎつひめ)とあります。

「たきつ・たぎつ」は水流の激しいさまを表します。「としのはに かくも見てしか み吉野の 清き河内の たぎつ白波」(万・六・九〇八)など、多くの用例があります。これら三女神を祭る宗像大社のある玄界灘の瀬にかかわる名であると考えられます。三女神については、次の段の本文で説明されます。

なお、この三女神については異伝があり、神代紀第六段本文では田心姫(たこりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)の順に生まれ、一書(第一)では瀛津嶋姫(おきつしまひめ)、湍津姫、田心姫、一書(第二)では市杵嶋姫(沖津宮)、田心姫(中津宮)、湍津姫(辺津宮)と割り当てられ、一書(第三)では瀛(おき)津嶋姫(またの名を市杵嶋姫)、湍津姫、田霧姫、となっています。

生まれた順番も、鎮座する宮もまちまちですが、いずれにせよ、宗像地方の沖ノ島(沖津宮)、大島(中津宮)、田島(辺津宮)にこの三柱の女神が鎮座するとされています。

Sponsored Link

正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命

正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命は、まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと、と読みます。この神以下の五男神は、スサノオがアマテラスの八尺勾をさがみにかんで、吐き出した気吹の狭霧に成った神です。

書紀には正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊とあり、また一書(第三)には、スサノオが「正哉(まさか)吾勝ちぬ」と言ったことから、勝速日天忍穂耳尊と名付けた、とあります。

この「まさか」は「まさ」(正・真)+「か」(所、すみか、ありか、などの「か」)で、「今まさに」の意味です。万葉集に

梓弓 末はし知らず しかれども まさかは君に 寄りにしものを(十二・二九八五)、

吾が恋は まさかも悲し 草枕 多胡の入野の おくも悲しも(十四・三四〇三)、

梓弓 末は寄り寢む まさかこそ 人目を多み 汝(な)を端に置けれ(十四・三四九〇)

などの用例があります。古事記では「正勝」となっており、これを「まさかつ」と訓んで、「正に勝った」とする説もあります。神代紀第五段一書(第八)の「正勝山祇」の訓注には「正勝、此云麻娑柯(まさか)。一云麻左柯豆(まさかつ)」とあり、どちらにも訓めるようですが、ここでは書紀の表記「正哉」に従って、「まさか」と訓み、「今まさに」の意ととることにします。

「吾勝」はそのまま「私は勝った」の意です。したがって、「正勝吾勝」は「今まさに、私は勝った」というスサノオの勝どきが、そのまま生んだ子の神名に冠せられたものと考えられます。

「勝速日」は「勝」(勝つこと)+「速」(勢い盛んなこと)+「ひ」(神霊)で、「勝って勢い盛んな神霊」「勝つことそのものが持つ神威」の意で、「勝つ」ことそのものを神霊と見る表現です。

「天」は美称または高天原の神であることを示し、「忍」(おし)は「大・多」(おほし)の約まったもの(例:天忍許呂別・大事忍男神)で、「穂」は「秀」(ほ)またはそのまま稲穂のことで、「耳」は「み」(神霊、わたつみ、やまつみの「み」)を重ねたものです。

なお、宣長は「勝速日」を次の段に出てくる「勝佐備」(かちさび)と同じ意だとして、「加知波夜備」(かちはやび)と訓む、としていますが、「日」は甲類、「備」は乙類の仮名なので、これは成り立たないと考えられます。甲類乙類の仮名についてはこちら

この神はのちにアマテラスから豊葦原の瑞穂の国へ降臨する事依さしを受けますが、自分が行くかわりに子であるホノニニギを推薦し、結局ホノニニギが天降りをすることになります。オシホミミにせよ、子のホノニニギにせよ、その名に「穂」とあることは、これらの神が「瑞穂」(みずみずしい稲穂)にかかわりを持つことを示しています。

天之菩卑能命

天之菩卑能命は、あめのほひのみこと、と読みます。書紀では本文も一書もすべて「天穗日命」(あまのほひのみこと)と記してあり、「菩」が「穂」の意であることが分かります。「ひ」(卑・日)は神霊を表します。この神もオシホミミ・ホノニニギと同じく、稲穂にちなむ名を持ちます。記紀ともに、この神は天孫降臨に先立って大国主のもとへ遣わされるが、媚びついて三年もの間復奏しなかった、と伝えています。出雲国風土記の意宇郡屋代郷の条に「天乃夫比命」とあります。出雲国造の祖神とされています。

天津日子根命、活津日子根命

天津日子根命、活津日子根命は、それぞれ、あまつひこねのみこと、いくつひこねのみこと、と読みます。「日子」は「彦」で男性の美称です。書紀では本文・一書とも「天津彦根命・活津彦根命」または「天津彦根命・活目津彦根命」となっています。速秋津日子・ 阿遅高日子根神などの例があります。

「根」は尊称です。阿夜訶志古泥(ね)神・阿遅高日子根神・出雲振根など、神名・人名に多く使われています。

この二神は「天津」「活津」で対になっています。「天津」は美称で、天津日高日子番能邇邇藝命などの例があります。「活津」については他の用例はないようですが、「いく」については「生魂足魂」「生国足国」(祈年祭祝詞)、「今日の生日の足日」(出雲国造神賀詞)、また「活杙神」などに見られる、生命力を称えた言葉であると考えられます。

熊野久須毘命

熊野久須毘命は、くまのくすびのみこと、と読みます。書紀では熊野樟日命(くまののくすびのみこと) 、熊野忍踏命(くまののおしほみのみこと)、熊野忍隅命(くまののおしすみのみこと)、熊野大角命(くまののおほすみのみこと)とさまざまに呼ばれています。

「熊野」については、出雲国の地名であるとする説があります。熊野坐神社(延喜式神名帳)もしくは熊野大社(出雲国風土記意宇郡条)の鎮座する地になります。熊野大社は出雲国造が斎き祭る古社であり、その祖神である天之菩卑能命がここに出てくることからも、この神名の「熊野」が出雲の熊野を指すとする解釈が出てくるのは自然なことだと思います。

「くす」は「くし」または「くすし」(奇し)で、霊妙・不可思議・神秘的であるさまを言います。クシナダヒメの「クシ」と同じです。「び」は「ひ」と同じで、神霊です。

なお、この熊野の「くま」を「隈」(奥まっている所)の意味とする説があります。また、上に挙げた忍隅命・大角命の「隅」「角」を「くま」と訓み、さらに踏(ほみ)を「ほ」(穂)+「み」(神霊)として、これらの神名を「くま」(奠稲(くましね)、神饌の米)にちなむものとする説があります(大系紀・集成記)。集成記では、熊野の「くま」を「隈」(奥まっている所)の意味とし、この「くま」(奥まった所)には「くま」(奠稲)を供えて祭る、と説明しています。また、大系紀は、「熊野」は出雲の地名であるとし、その名が「くま」(奠稲)を連想させるために、神奠の場所として神聖視されたのではないか、と述べています。