ここでは、アマテラスがスサノオの十拳剣をさがみにかんで、吐き出した気吹の狭霧に成った三柱の女神と、スサノオがアマテラスの八尺勾をさがみにかんで、吐き出した気吹の狭霧に成った五柱の男神の所属を決める「詔り別け」がアマテラスによってなされます。

その結果、オシホミミ・アメノホヒら五男神がアマテラスの、多紀理毘売命、奥津島比売命、市寸島比売命の宗像三女神がスサノオの子とされました。

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うけいで生まれた神々の詔り別けの段・本文

クリックで現代語訳

そこで、天照大御神あまてらすおおみかみは、速須佐之男命はやすさのおのみことに、「この、後に生まれた五柱の男子は、私の持ち物を物実ものざねとして成りました。ですから、当然私の子です。先に生まれた三柱の女子は、あなたの持ち物を物実として成りました。ですから、つまりあなたの子です」と言って、生まれてきた子たちを区別した。

クリックで訓読文

ここ天照大御神あまてらすおほみかみ速須佐之男命はやすさのをのみことりたまはく、「の、のちれませる五柱いつはしら男子ひこみこは、物実ものざね我が物にりて成りませり。かれおのづかが子なり。先に生れませる三柱の女子ひめみこは、物実みましの物に因りて成りませり。故、すなはち汝の子なり」如此かくり別けたまひき。

クリックで原漢文

於是天照大御神、告速須佐之男命、是後所生五柱男子者、物實因我物所成。故自吾子也。先所生之三柱女子者、物實因汝物所成。故乃汝子也。如此詔別也。

クリックで言葉

《言葉》

  • 【物実】ものざね 「さね」は「たね」のこと、物から子が生まれたことによる呼び方
  • 【詔別】のりわく ある人や物の区別や所属を宣言すること
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物実

物実は、ものざね、と読みます。書紀には「物根」(ものざね)とあります。「さね」とは「たね」のことです。サ行とタ行はしばしば交替し、「三段」(みきだ)の項にも紹介した「きざはし⇔きだはし」(階)の他にも、「すぎ⇔つぎ」(次)、「ふさぐ⇔ふたぐ」(塞)などの例があります。剣や玉といった「物」を「たね」として子を生んだことによる呼び方と考えられます。

詔別

詔別は、のりわく、と読みます。宣長は、「五男三女渾(すべ)て一つに、大御神と須佐之男命との御子にて、本は何(いづ)れが何れの御子と云別(わき)は無きを、今始て物実を尋(とめ)て、如此(かく)別たまふなり」と説明しています。

つまり、五男神・三女神が生まれた時点では、どちらがどちらの子かという区別はなかった、そこでアマテラスの「詔り別け」によって、はじめて「物実」を基準として、五男神がアマテラスの子三女神がスサノオの子と決まった、ということです。

日本書紀にもこの「うけひ」の異伝がありますが、古事記のそれとは大きく異なっています。いちばん大きな違いは前提(勝敗のルール)の有無です。書紀の本文・一書ではすべて前提(男を生んだら、清い心)が最初に宣言されるのに対し、記ではそれが一切ありません。ここで、記・紀の本文・一書に現れる、「うけひ」の構成を見てみましょう(日神とはアマテラスのことです):


前提:なし
日神は、スサノオの剣から三女神を生んだ→スサノオの子(日神の詔り別けによる)
スサノオは日神の玉から五男神を生んだ→日神の子(日神の詔り別けによる)

紀・第六段本文
前提「如吾所生、是女者、則可以為有濁心。若是男者、則可以為有清心」(スサノオの言葉)
日神は、スサノオの剣から三女神を生んだ→スサノオの子(日神の詔り別けによる)
スサノオは日神の玉から五男神を生んだ→日神の子(日神の詔り別けによる)

紀・第六段一書(第一)
前提「若汝心明浄、不有凌奪之意者、汝所生児、必當男矣」(日神の言葉)
日神は、自分の剣から三女神を生んだ→令降於筑紫洲(道中)※海北道中、九州・朝鮮間の海路
スサノオは自分の玉から五男神を生んだ→記載なし

紀・第六段一書(第二)
前提「誓約之間、生女為黒心。生男為赤心」(スサノオの言葉)
日神は、スサノオの玉から三女神を生んだ→遠瀛(おきつみや)・中瀛(なかつみや)・海濱(へつみや)
スサノオは日神の剣から五男神を生んだ→云爾(しかしかいふ)

紀・第六段一書(第三)
前提「汝若不有賊之心者、汝所生子、必男矣」(日神の言葉)
日神は、自分の剣から三女神を生んだ→宇佐嶋から海北道中へ※九州・朝鮮間の海路
スサノオは自分の玉から六男神を生んだ→日神の子(取其六男、以為日神之子、使治天原)

紀・第七段一書(第三)
前提「・・・如有清心者、必當生男矣」(スサノオの言葉)
日神は、自分の剣から、云々(しかしか)→云々
スサノオは自分の玉から、六男神を生んだ→日神の子/(吾以清心所生児等、亦奉於姉)

以上、日本書紀においては、どの伝承においても、必ず「男を生んだら、清い心(スサノオの勝ち)」という前提を宣言した上で、うけいをおこなっていることが分かります。そして、物実が剣か玉か、それは誰の物か、子は誰に帰属するか、に一切関係なく、すべての伝承で「スサノオが男神を生んだ」という結果になり、したがってスサノオの勝利となっています。

一方、古事記の方では、スサノオが「生んだ」神の性別ではなく、スサノオの「子である」神の性別で勝敗が決められています:

  • 記:「自分に帰属する子が女神だからスサノオの勝ち」(スサノオが一方的に主張、後述)
  • 紀:「自分が生んだ子が男神だからスサノオの勝ち」(ルールに則っている)

古事記と日本書紀の間でこのような違いが生じた理由について、古事記の方が「後の改変」を受けているとか「あやまり」である、とする説と、大系紀のように「書紀の所伝は儒教的な考えによって、男をすぐれたものとした結果、記と相違を来たしたのであろう」とする説があります。

しかし、古事記と日本書紀のそのような大きな違いにもかかわらず、結局はスサノオが勝ったことになる点では共通しています。また、スサノオが生んだ男神が、最終的に日神(アマテラス)の子になる点も共通しています(実際には、第六段の第一・第二の一書では何も触れられていませんが、オシホミミ・アメノホヒに当たる神が含まれることから、男神はアマテラスの子とされたと見てよさそうです)。また、三女神がいわゆる宗像三女神である、という点も共通項です。結局、このうけいにおいて重要なことは、

  • 剣と玉から三女神と五(六)男神が生まれる
  • スサノオが勝つ
  • オシホミミ・アメノホヒをはじめとする五(六)男神がアマテラスの子とされる
  • 三女神は宗像三女神である

ことであって、これらが満たされる限りにおいて様々な異伝が生じているものと考えられます。特に2番目と3番目は、今後のストーリーの展開に決定的に重要な要素であり、動かすことのできないものです。