スサノオとアマテラスの間で、スサノオの心の清明を証明するための「うけい」が行われました。二神は高天原にある天の安河を挟んで向かい合います。

アマテラスがスサノオの十拳剣を噛み砕き、息吹の霧を吐き出すと、三柱の女神が成りました。

次にスサノオをアマテラスの左右の御みずら、左右の手、御かずらに巻き付けていた玉を噛み砕き、息吹の霧を吐き出すと、五柱の男神が成りました。

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スサノオとアマテラスのうけいの段・本文

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天安河

天安河は、あめのやすのかは、と読みます。高天原にあるとされる川です。天の石屋戸の段でも、八百万の神が集う場所として「天安河原」が出てきます。他にも書紀に、

劔の刃より垂る血、是、天安河邊に所在(あ)る五百箇磐石と為る。(神代紀・第五段・一書第六)

日神、素戔嗚尊と、天安河を隔てて、(神代紀・第六段・一書第三)

八十萬神、天安河邊に会(つど)ひて、(神代紀・第七段・本文)

などと出てきます。宣長は、「古語拾遺に天八湍河原(あめのやせのかはら)ともあれば、彌瀬(いやせ)之河にや」と述べています。大系紀補注もこれに従い、「安」は「八瀬」(やせ、多くの瀬)の転であるとしています(宣長は、「八」(や)を「彌」(いや)、つまり「程度がはなはだしい・数や量が非常に多い」の意であるとして、この二つを通じさせて用いています)。

また、神代紀の第五段の一書(第七)では「天八十河中」と転じています。
やす・やせ・やそ、いずれにせよ、「や」(八)というのが重要なようで、宣長は、

神代の天上の故事を云る、皆此河の名を云て、他河の名は見えざれば、是れは一つの河の名にはあらで、ただ流れのいくすぢもありて、大きなる河を云なるべし。

としています。また、万葉集には七夕の歌がいくつもありますが、「天漢 安渡丹 船浮而」(十・二〇〇〇)、「天漢 安川原」(十・二〇三三)、「天漢 安乃川原乃」(十・二〇八九)などに見られるように、「天漢」(天の川)の七夕伝説と「天の安河」の神話は習合していたようです。さらに、

天照らす 神の御代より 安の河 中に隔てて 向ひ立ち 云々(一八・四一二五)

は七夕の歌ですが、この部分は明らかにアマテラスとスサノオのうけいの場面が連想されています。

乞度

乞度は、乞ひ度(わた)して、と訓読します。宣長は、「度(わたす)とは、今は人にやるをのみ云へど、古へは此方(こなた)へ取(とる)をも云しなり」としていますが、記注釈ではこれを疑問として、これを「乞取」の誤写であろう、としています。書紀には「索取」「乞取」(こひとる)とあります。ただし、諸写本にはすべて「乞度」とあり、慎重でなければならない、ともしています。ここでは底本を含めた諸本に従って「乞度」を採ります。

十拳劔

十拳劔は、とつかつるぎ、と読みます。イザナギがカグツチの首を斬る時にも出てきました。

三段

三段は、みきだ、と読みます。「段」(きだ)とは、一つのものを幾つかに切り分けた断片のことを言います。「刻む」の「きざ」と、この「きだ」は同語です。階段のことを「きざはし」とも「きだはし」ともいいます。

他に、田畑や布の面積の単位としても使われました。倭名抄の筑前国の鞍手郡に、「新分 爾比岐多(にひきた)」とあります。また、現在の大分県の「大分」はかつて「おほきだ」(景行紀に「碩田」、訓注に於保岐陀(おほきだ))であったことなどから、「分」が「きた・きだ」と訓まれていたことが分かります。

書紀には、イザナギがカグツチを斬って「三段」または「五段」(いつきだ)にし、そこから三神または五神が成った、とあります。ここでも同様に、「三段」に折られた十拳剣から三柱の女神が成ります。

奴那登母母由良爾

奴那登母母由良爾は、ぬなとももゆらに、と読みます。三貴子誕生の段に、「御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして」とありました。

「ぬなと」は「ぬ」(瓊、玉のこと)+「な」(の)+「おと」(音)が約まったものです。「もゆらに」は、玉の緒がゆらゆら揺れて、玉同士がぶつかって音がするさまを言います。さて、この段でこの表現は二回出てきます:

  • ア、(アマテラスがスサノオの)十拳剣を乞ひ度して、三段に打ち折りて、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り滌きて
  • イ、(スサノオがアマテラスの)みすまるの珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、天の真名井(まなゐ)に振り滌きて

アはアマテラスが、三段に打ち砕いた十拳剣を「ぬなとももゆらに」、真名井の水で振りすすいだ、という意味ですが、この「ぬなと」はどこから来たのでしょうか。「ぬ」は玉のことですから、十拳剣の音とするのは不都合です。そこで、アマテラスが身に着けていた八尺の勾玉の音とする他ないところですが、それでは「物遠し」(記伝)、つまり本文の描写からかけ離れていて間接的にすぎるきらいがあります。

また、もしそうだとすると今度は、イの「ぬなとももゆらに」はどこから来たとするのか、という問題が出てきます。一貫性だけなら、こちらでも、スサノオが身に着けていたであろう玉の緒の音と解することになりますが、こちらの「ぬなと」は、スサノオが振りすすいでいる、アマテラスから受け取った八尺の勾玉のものと考えるのが自然です。

いずれにせよ、このアの部分に「ぬなとももゆらに」があるのは不自然で、「かにかくに此は誤りと見ゆ」(古事記伝)、「後の文に引かれた不用意の挿入」(大系記)、という見解が出てきます。実際、神代紀の第七段の一書(第三)にも「瓊響」(ぬなとももゆらに)と出てきますが、スサノオがみすまるの瓊(たま)をすすぐときだけで、アマテラスの方にはありません。

その一方で、西郷信綱氏のように、アの「ぬなとももゆらに」を、古事記伝の説を知らずに、アマテラスの身に着けている八尺の勾玉の音だと読んできて、特に不自然とは感じなかった、とする意見もあります(記注釈)。

天之眞名井

天之眞名井は、あめのまなゐ、と読みます。「まな」は「ま」(真)+「な」(の)で、美称です。神代紀第六段一書(第一)に「天渟名井」(あまのぬなゐ)とあり、この「渟」(ぬ)は「瓊」(ぬ、玉のこと)で、やはりこれも美称です。したがって、「天の真名井」は、井をほめて呼んだもので、井の名前というわけではありません。そのことは、神代紀第六段一書(第二)にある、「掘天眞名井三處、相與對立」(天の真名井を三か所掘って、向かい合って立った)という表現からも分かります。宣長の言葉を掲げておきます:

此の井は、即ち安の河瀬の中にて、井と云べき所を指して云るにて、別に尋常云(よのつねいふ)井ありしにはあらず、【書紀に、此の井を云る伝へには河を云はず、河を云る伝へには此井を云ざるも、此故にや、】始めに中置天安河と云ひおきて、今此に如此(かく)言は、別に非ること明けし、凡て古へは、泉にまれ川にまれ、用る水に汲處を井と云り。

つまり、ここの真名井というのは、いわゆる井戸のことではなく、天安河の中で「井」つまり水汲み場と呼べるところを指すものとしています。さらに、その証拠として、初めに「天安河を間に挟んで」と言ってから、「天の真名井」で振りすすいだ、と書かれていることから、天の安河と天の真名井が別個のものではないことは明らかだとし、さらに、書紀の本文・一書において、「河」が出てくる伝承には「井」は出てこず、「井」が出てくる伝承には「河」が出てこない、という事実を指摘しています。

振滌

振滌は、ふりすすく、と読みます。「井の水につけて、動かしすすぐこと。物を揺動させることは生命力を活溌にするために実修される呪術行為」(大系紀)。

佐賀美爾迦美而

佐賀美爾迦美而は、さがみにかみて、と読みます。「さ」は接頭辞で、噛みに噛んで、という意味です。書紀では「然咀嚼」、訓注に「佐我彌爾加武」(さがみにかむ)とあります。「」は説文に「 齒堅聲」(堅いものを噛む音)とあり、「然咀嚼」は「ばりばりと音を立てながら噛む」といった意味になります。

1.5.4 天の安の河の誓約(2)に続きます。)