スサノオは、武装して自分を迎えたアマテラスの警戒を解くため、自分は葦原中国を追放され、根の堅州国へ赴くことになったいきさつを報告するために参上しただけで、邪心はないことを告げます。
これに対しアマテラスが、心の潔白がどうやったら分かるのか、と問うと、スサノオは「うけい」をしましょう、と提案します。
泣きわめいただけで青々とした山が枯れ山になり、川や海が干上がるほどの凄まじいエネルギーを持ったスサノオですが、ここでもその面目は躍如しています。天にいるアマテラスに、根の堅洲国へ赴く事情を告げるために参上しただけで、山や川はみなどよめき、国土はみな震えるありさまでした。その絶大なエネルギーに呼応して、高天原の主宰神であるアマテラスが動き出します。
イザナギ・イザナミの神生み・国づくりの事業が終了した後は、スサノオのこの異常なまでの荒ぶるエネルギーこそが、アマテラスをはじめとする高天原の神々を動かし、物語を展開させていく原動力となっていきます。
スサノオがアマテラスにうけいを提案する段・本文
(前の記事の続きです。前記事は1.5.3 須佐之男命の昇天(2)です。)
蹶散
蹶散は、くゑはららかして、と読みます。書紀に「若沫雪以蹴散」(沫雪の若くに蹴散し)、訓注に「蹴散、此云穢簸邏邏箇須(くゑはららかす)」とあります。
大系紀注釈では、岩崎本の皇極紀の三年正月の条の「打毬之侶」の古い朱の傍訓に「まりくうるともがら」とあることと合わせて、「蹴」という動詞は上代にはワ行下二段活用(くゑ、くう、くうる)であったとします。「くゑ」が「け」になり、「蹴る」(ける)に変化していったようです。
「はららかす」(散)は漢字のとおり、散り散りにする、という意味です。万葉集に「海人小舟 はららに浮きて」(二十・四三六〇)とあり、この「はららに」は「ばらばらに」の意です。また、新撰字鏡に「毳 波良介志(はらけし)又知留(ちる)」とあります。宣長は、「波良波良本呂本呂(はらはらほろほろ)など云言も、皆同言なるべし」と述べています。
伊都之男建
伊都之男建は、「伊都」(いつ)は「伊都之竹鞆」のそれと同じです。「男建」(をたけび)は書紀では「雄誥」(をたけび)とあります。「たけぶ」は雄々しく勇猛に振る舞うことです。いわゆる「雄叫び」とは異なります。
蹈建而
蹈建而は、ふみたけびて、と読みます。神代紀第九段の一書の吾田鹿葦津姫(あたしかつひめ)の出産の段に「其の火の初め明る時に、躡(ふ)み誥(たけ)びて出づる児、自ら言(の)りたまはく)、雄略紀に「津麻呂聞きて、踏み叱びて曰はく」、とあり、「たけび」はしばしば踏む動作を伴うものであっとことが分かります。
纒御美豆羅而(御みづらに纏かして)から蹈建而(踏み建びて)まで、「而」(〜て)が六回繰り返されます。宣長は、「今読には煩きに似たれど、古文の格(さま)なり、次の天の岩屋の段などには、猶多く重ね云り」と述べています。
実際、次の誓約(うけひ)の段や天石屋戸の段でもこのような同じ句形の繰り返しによる描写がなされますが、これは口承文芸に特徴的な語り口調で、このように音声で次々と畳みかけていくことで、語られる場面に緊迫感がもたらされています。
邪心
邪心は、きたなきこころ、と読みます。書紀では「黒心」「悪心」とあります。前出の「善心」(うるはしきこころ)に対する言葉です。スサノオにはアマテラスに対する邪心はなく、ここで告げているように「根の堅洲国へ行こうとする事情を申し上げようと思って参上したまで」で、そのとき、「山川悉に動みて、国土皆震りき」となったのも、邪心があったからではなく、スサノオの持つ、自分にも制御できない荒ぶるエネルギーが、本人の意思にかかわらず引き起こしてしまったものです。
異心
異心は、けしきこころ、と読みますが、ことごころ、とも訓みます。二心、他意、といった意味です。
心之清明
心之清明は、宣長は、万葉集に「隠さはぬ 赤き心を」(二十・四四六五)、「吾が心 明石の浦に」(十五・三六二七)などから、これを「こころのあかき」と訓読しましたが、続日本紀の宣命に「明き浄(きよ)き直き誠の心以ちて」(巻一)、「清き明き正き直き心以ちて」(巻九)、「浄き明き心を持ちて」(巻十)などとあるのによって、「是らに依らば、此も伎與岐阿加岐(きよきあかき)とも訓べし」としています。
宣命にせよ、このアマテラスの言葉にせよ、「心の清き明きこと」とは、朝廷への忠誠心のことを言っています。書紀では「赤心」「明浄」と書かれています。他にも、仲哀紀に「汝(いまし)熊鰐は、明(きよ)き心有りて参来(まうけ)り」、万葉集に「吾が情(こころ) 清隅(きよすみ)の池の」(十三・三二八九)などがあります。
各
各は、前段にも出てきました。続日本紀の称徳天皇の宣命に「於乃毛於乃毛」とあるのに従って、おのもおのも、と訓みましたが、おのおの、とも訓みます。
宇氣比
宇氣比は、うけひ、と読みます。書紀には「誓約」(うけひ)「誓」(うけふ)とあります。
オオヤマツミが、娘であるイワナガ姫を娶れば長命になることを、コノハナノサクヤ姫を娶れば繁栄することを「うけひ」てから、この二柱をニニギノ命に献じたが、ニニギノ命は醜いイワナガ姫を送り返してしまったために歴代の天皇の寿命は限りあるものとなってしまった、という伝承があります。
また、垂仁天皇の御子ホムチワケは物が言えなかったが、天皇の夢の中に出雲大神が現れて「自分の宮を天皇の宮殿のように作れば、御子は物が言えるようになるだろう」と告げたところ、天皇は本当にその効験があるかどうかを確かめるために、曙立王に「うけひ」をさせた。王が鷺巣の池の樹に住む鷺に、「大神を祭ることに本当に効験があるなら、うけひ落ちよ」「うけひ活きよ」と言うとその通りになり、さらに樫の木を「うけひ枯らし」、「うけひ生かし」た、と記されています。
また、仲哀・神功記に、香坂王・忍熊王が、自分たちの謀反の成否を知るために「うけひ狩り」をした、と伝わっています。
これらのことから、「うけひ」というのは、「PならばQ」「PでないならばQでない」という前提を置いた上で、現実はどちらになるか(Qとなるか否か)を知るために、Pとなるかどうかを見る、という形式の、一種の占術であったことが分かります。
次の段でアマテラスとスサノオの「うけひ」になりますが、この「うけひ」の特徴は、正否・勝敗の前提条件が示されていないところです。つまり、男・女のどちらが生まれれば勝ちなのか負けなのか、というルールがそもそも示されておらず、「私の子は娘だから私の勝ちだ」とスサノオが一方的に宣言するだけで、本当にスサノオの勝ちなのかどうかは分かりません。