次に生んだ神の名は、鳥之石楠船神、またの名は天鳥船という。
次に大宜都比売神を生み、次に火之夜芸速男神を生んだ。またの名は火之炫毘古神といい、またの名は火之迦具土神という。この御子神を生んだため、伊邪那美命は女陰を焼かれて病に伏した。
その時、吐瀉物に成った神の名は金山毘古神、次に金山毘売神。
次に、糞に成った神の名は波邇夜須毘古神、次に波邇夜須毘売神。
次に、尿に成った神の名は彌都波能売神、次に和久産巣日神。この神の子を豊宇気毘売神という。
そして伊邪那美神は、火の神を生んだことで、ついに神避ってしまった。天鳥船から豊宇気毘売神まで合わせて八はしらの神。
全部で、伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神が共に生んだ島は十四島、神は三十五柱である。
これは伊邪那美神が、まだ神避らない前に生んだ。ただ、意能碁呂島は生んだものではない。また、蛭子と淡島は子の数には入れない。
イザナギ・イザナミは引き続き神を生んでいきますが、イザナミは自らが生んだ火の神によって、陰部を焼かれてしまい、それによって病に伏し、ついに神避(かむさ)ってしまいます。神避るというのは、黄泉の国へ去ってしまうことです。イザナミが出産する神は火の神が最後ですが、病に伏せっている間に出た糞尿や吐瀉物からも、次々と神が成っていきます。
鳥之石楠船神、天鳥船
鳥之石楠船神、天鳥船は、それぞれ、とりのいはくすぶねの神、あめのとりふね、と読みます。楠で造った丈夫な船という意味です。
日本書紀の一書に、スサノオが「吾が児の所御(しろしめ)す国に、浮宝有らずは、未だ佳(よ)からじ」(私の子が統治する国に、船がないのはよくない)と言って、ひげを抜いて撒くとそれが杉となり、眉毛を抜いて撒くとそれが楠となった。そして「杉及び樟(くすのき)、此の両の樹は、以て浮宝とすべし」(杉と楠の二つの樹木は、これを船とせよ)と言った、という伝承が記されており、楠は古くから船材として用いられてきたことが分かります。
「石」と付いているのは、楠が堅くて丈夫で水に強いことによります。「鳥」は空も海の上も自在に速く移動することができるので、それにちなんで冠されたものと考えられます。播磨国風土記逸文に、
難波の高津の宮の天皇の御世、楠、井の上に生ひたりき。朝日には淡路嶋を蔭(かく)し、夕日には大倭嶋根を蔭しき。仍(すなは)ち、其の楠を伐りて舟を造るに、其の迅きこと飛ぶが如く、一(かじ)に七浪を去き越えき。仍(よ)りて速鳥と號(なづ)く。
とあります。仁徳天皇の時代に、その木陰が淡路島や大和国を覆い隠すほどの楠があって、それを伐って船を造ったところ、飛ぶように速かったので、速鳥と名付けた、ということです。このように、水の上を速く進む船は、空を飛ぶ鳥を古代人に連想させたようで、他には万葉集に、筑前国の志賀の白水郎(あま)の歌、
沖つ鳥 鴨とふ船の 還り来ば 也良(やら)の崎守 早く告げこそ(十六・三八六六)
沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 廻(た)みて漕ぎ来と 聞え来ぬかも(十六・三八六七)
などがあります。「鴨とふ船」は「鴨という名の船」という意味です。
楠は船だけではなく、水槽にも利用されていたようです。日本霊異記の道場法師伝(上巻第三)に
雷答へて言はく「汝に寄せ子を胎(はら)ま令めて報いむ。故、我が為に楠の船を作り水を入れ、竹の葉を泛べて賜へ」といふ。
とあります。ここで言う船は、水を入れる容器、水槽のことです。
また、すぐ後の段で、タケミカヅチという雷の神が現れますが、この神は国譲りのときに、天鳥船とともに葦原中国に降りて行きます。上の霊異記の記事にも雷が出てきており、船にしばしば落雷があったせいでしょうか、雷と船が密接に結びつけて考えられていたようです。
大宜都比売神
大宜都比売神は、おほげつひめの神と読みます。前出の伊予之二名島(四国)の粟国(徳島県)と同名の神です。「おほ」+「げ」(け、食物)+「つ」(の)+「ひめ」で、食物の女神です。スサノオを食べ物を乞われ、あげく殺されてしまうのはこの大宜都比売神です。
「け」は「うけ」とも言い、同類の神に豊宇気毘売神(とようけびめの神、後出)、保食神(うけもちの神、神代紀)があります。豊宇気毘売神はまた「うか」とも転じて、宇迦之御魂神(うかのみたまの神、後出)、稲魂女(うかのめ、神武紀)の例もあります。これらはすべて食物に関係する神とされています。
火之夜藝速男神、火之炫毘古神、火之迦具土神
火之夜藝速男神、火之炫毘古神、火之迦具土神は、それぞれ、ひのやぎはやをの神、ひのかがびこの神、ひのかぐつちの神と読みます。火の神です。「やぎ」は「焼き」、「かが・かぐ」は「陽炎(かげろう)、輝く、影」に通じ、いずれも燃えて輝く炎を表します。例えば、かぐや姫は「光り輝く姫」という意味だと言われています。
本居宣長は、後の二つの別名から、最初の「夜藝」は「迦藝」(かぎ)の写し間違いではないかとしています。速男の「速」は速秋津日子・比売と同じで「勢いが盛んなさま」を表します。火之迦具土神の「土」は天之狭土神と同じで「つ」(の)+「ち」(神霊)の音を借りたものです。「いかづち・をろち」の「ち」もこれと同じです。
美蕃登見灸而
美蕃登見灸而は、みほと灸(や)かえてと訓読します。「ほと」とは女陰のことです。古事記中巻に安寧天皇の御陵が畝火山の美富登(みほと)にあると記されています。これは畝傍山のくぼんだ場所のことです。大系紀注釈によると、「火が女陰から得られるという話はニューギニアを中心とするメラネシアと、南米に多くあり、火切杵と火切臼を用いる発火法が、男女の交合を連想させることに起源するものであろうという。また、火を生むことによって、女性が死に、男性と別れるに至るのも、右の発火法からの連想によって解釈される」。
病臥在
病臥在は、病み臥(こや)せりと訓読します。「見」は〜される、で「在」は助動詞を表しており、この場合は「せり」です。万葉集に、
石室戸 立在松樹 汝乎見者 昔人乎 相見如之(三・三〇九)
石屋戸に 立てる松の樹 汝(な)を見れば 昔の人を 相見るごとし
足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨(十一・二四九五)
たらちねの 母が養(か)ふ蚕(こ)の 繭隠(こも)り 隠れる妹を 見むよしもがも
など多くの例があります。
(1.3.7 火之迦具土神ほかの誕生(2)に続きます。)