イザナミは、淡路島、伊予之二名島(四国)、隠岐諸島、筑紫島(九州)に続いて、壱岐(天比登都柱)・対馬(天之狹手依比売)、佐渡島を生みます。

国生みの段・本文

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(前の記事の続きです。前記事は1.3.1 国生み(2)です。)

伊伎島、天比登都柱

伊伎島、天比登都柱は、伊伎島は現在の壱岐です。現在はもっぱら「イキ」と呼ばれますが、古くは「ユキ」とも言ったそうです。懐風藻の本文に伊支連古麻呂(いきのむらじこまろ)の名が見えますが、同目録には雪連古麻呂(ゆきのむらじこまろ)と表記されています。伊支とは壱岐のことです。現在でも「行く」を「イク」とも「ユク」とも読みますが、これと同じと考えられます。壱岐については万葉集に、

新羅へか 家にか帰る 壹岐(ゆき)の島 行(ゆ)かむたどきも 思ひかねつも(十五・三六九六)

という歌が残されています。作者は天平八年(736年)の遣新羅使の一員で、壱岐まで来て、旅路の心細さに、新羅へ行こうか家に帰ろうかと思い悩み、茫然自失している心情を歌っています。ここで「壱岐(ユキ)」と「行き(ユキ)」を掛けているわけです。

天比登都柱は、あめひとつばしら、と読みます。日本書紀本文に「オノゴロ島を以て国中の柱として」というくだりがあり、オノゴロ島が「天の御柱」に見立てられている、という話がありました。また、万葉集の、

海若(わたつみ)は 霊(くす)しきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 云々(三・三八八)

という表現からも、古代の人たちは島を大洋に屹立する柱のようなものに見立てていたことがうかがえます。なお、分注の「訓天如天」は「天」を「アメノ」「アマノ」と言わずに「アメ」とだけ訓め、ということです。

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津島、天之狹手依比売

津島、天之狹手依比売は、津島は対馬のことです。万葉集に、

百船(ももふね)の 泊(は)つる対馬の 浅茅山(あさぢやま) 時雨の雨に もみたひにけり(十五・三六九七)

という歌が残されています。「泊つる対馬」は「泊つる津島」(船の停泊する船着き場のある島)という意味で、ツシマとは「津島」のことだと分かります。魏志倭人伝には「対馬国」と書かれており、これに影響されて、漢字表記を「対馬」とするようになったのかもしれません。天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)の意味は未詳です。

佐度島

佐度島は、佐渡島のことです。この島にだけ「またの名」がありません。どの写本にも残っていないようです。もともとなかったという可能性もありますが、本居宣長は、古くから写本を繰り返していくうちに脱落してしまったのではないかと考えています。また、名前の由来ですが、船の入る水門(みなと)が狭いので、「狭門(さど)」から来ているのではないか、としています(古事記伝)。

1.3.1 国生み(4)に続きます。)