オモイカネ(思金神)の案に従って、神々は鏡と玉と和幣(にきて)を用意し、賢木を根こじにしたものに取り付け、御幣を準備しました。
フトダマ(布刀玉命)がその御幣を持ち、アメノコヤネ(天児屋命)が祝詞を唱え、アメノタヂカラオ(天手力男神)が天の石屋戸の脇に隠れて立ち、アメノウズメ(天宇受売命)が伏せた「うけ」を踏み鳴らしながら舞い踊り、その様子に八百万の神々はどっと笑い出しました。
その外の様子に、アマテラスは、「自分がいなくて世界は暗闇のはずなのに、なぜあんなに賑やかなのだろう」と不思議に思います。それに答えてアメノウズメは、「あなたより貴い神がいらっしゃるからだ」と言います。
そこでフトダマとアメノコヤネが示した鏡を見て、アマテラスはますます不思議に思い、さらによく覗き込もうと、少しずつ外に出てきたところを、アメノタヂカラオに引っ張り出されます。こうして、オモヒカネの策は図に当たり、高天原と葦原中国に光が戻りました。
アマテラスが岩戸隠れから復帰する段・本文
楽
楽は、あそび、と読みます。歌舞や音楽のことです。古今和歌集に、「神あそびのうた」として、神事において神前で奏する歌舞のことを詠んだ歌がいくつか掲載されています。また、神楽歌に、
篠(ささ)の葉に 雪降りつもる 冬の夜に 豊の遊びを するが愉しさ (採物・篠・或説 本)
瑞垣の 神の御代より 篠の葉を 手(た)ぶさに取りて 遊びけらしも (同 末)
と出てくる「遊び」も、神事としての歌舞音楽を指し、特に末の歌はこの天の石屋戸神話のアメノウズメの「あそび」を念頭に置いたものと考えられています。
益
益は、まして、と読みます。記伝では「まさりて」と訓んでいます。万葉集に「益」を「ます」と訓む例が多くあります(二・九二、三・三八二など)。持統紀の人名に「筑紫史(つくしのふびと)益(まさる)」が見えます。
歓喜咲楽
歓喜咲楽は、ゑらきあそぶ、と読みます。大系本・全集本・集成本などはいずれも、よろこびわらひあそぶ、と訓んでいます。
前段の「咲」の項でも触れましたが、「ゑらく」は充足して喜びながら笑う、という意味になります。したがって、「歓喜咲」を「歓喜」(よろこび)+「咲」(わらふ)とするか、三字で「ゑらく」と訓むかの違いで、意味は同じになります。
「ゑらく」はその意味から、豊明(とよのあかり、酒宴のこと)の場面によく出てくる言葉で、続日本紀の大嘗・新嘗の豊明の詔に、
黒紀(くろき)白紀(しろき)の御酒を赤丹のほにたまへ恵良伎(ゑらき)云々 (巻廿六)
黒記白記の御酒食(たま)へ恵良伎(ゑらき) (巻卅)
と出てきます。クロキ・シロキのキは酒の意味です(お神酒の「キ」)。万葉集にも、
豊の宴(あかり) 見(め)す今日の日は 物部(もののふ)の 八十伴の男の 庭園(しま)山に あかる橘 髻華(うず)に刺し 紐解き放(さ)けて 千年(ちとせ)壽(ほ)き 壽きとよもし ゑらゑらに 仕へ奉るを 見るが貴さ (十九・四二六六)
などと見えます。
前段において、八百万の神は、アメノウズメの滑稽な所作(俳優、わざをき)を見て、どっと「咲(わら)ひ」ました。「わらふ」は軽蔑や敵意のある笑い、「ゑらく」は充足した喜びを伴う笑い、という違いがあることにも触れましたが、ここでアメノウズメが「わらふ」ではなく、「ゑらく」と言ったことについて、宣長は、
さてここは宇受売命の謀(たばかり)て申す詞にて、己が俳優と諸神の咲(わらひ)とを合せて、真実(まこと)におもしろく楽みあそぶさまにいひなせるなり、故れ歓喜の二字を加へたり、心をつくべし。
と説明しています。書紀の天孫降臨の条で、アメノウズメが八衢(やちまた)で遭遇した奇怪な容貌をした神に対し、
其の胸乳を露にかきいでて、裳帯(もひも)を臍の下に抑(おした)れて、咲(あざわら)ひて向き立つ。 (神代紀・第九段・一書第一)
とあるこの「あざわらひ」も、無意識な笑いではなく、相手の呪力を和めるための意識的な演戯でした。
其鏡
其鏡は、イシコリドメが作り、根こじにしたサカキの中枝に掛けられた八咫鏡(やたかがみ)のことです。天孫降臨の段でアマテラスが、
此れの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拜(いつ)くが如(ごと)いつき奉れ。
と勅した、いわゆる三種の神器の一つです。アメノウズメの言う、「アマテラスよりも貴い神」とは、この鏡に映ったアマテラス自身の姿でした。そのまばゆい自身の姿の鏡像を見たアマテラスは、「いよよあやし」と思い、もっとよく見ようと、少しずつ石屋戸の外へと出て行きました。
この鏡がアマテラスの「我が御魂」とされた理由は、
此の御鏡は日像の鏡と申して、日の神の御像を模(うつ)し、又其御光のうつれるを以て言ふ。 (古事記伝)
とあるとおりです。なお、宣長は、アメノウズメが日蔭鬘をした理由を、「此の鬘を頭より垂るるは、日の光のまばゆきをさし隔つる料なり」と説明しています。
臨
臨は、のぞむ、と読みます。ここでは、のぞく、という意味です。
宣長は、中務集(女流歌人中務の家集)の「池にのぞきたる松に富士かかれり」、源氏物語の椎本巻の「水にのぞきたる廊に云々」などの例で、「臨む」の意味で「のぞく」を使っていることと合わせて、「のぞむ」と「のぞく」は元々同じ言葉だったのではないかと推測しています。
尻久米繩
尻久米繩は、しりくめなは、と読みます。注連縄(しめなわ)のことです。
書紀本文では「端出之繩」で「しりくめなは」と訓ませています。「くめ」は下二段活用の他動詞「組む」の連用形で、「尻組め繩」とは、藁の端(尻)を編ませたまま、切って揃えずにおいた繩、と言う意味です。端が飛び出たままなので「端出之繩」とも書かれています。万葉集に、
祝部(はふり)らが 斎(いは)ふ社の 黄葉(もみちば)も 標繩(しめなは)越えて 散るといふものを (十・二三〇九)
とあるように、「しめなは」とは、人の入れない領域を標した縄のことをいいます。額田王の、
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る (一・二十)
の「標野」は一般の立ち入りが禁じられた野のことで、「しめ」は「占め」(占有)という意味です。
一方、土佐日記の元日に「こへのかどのしりくべなはのなよしのかしら」と、こちらの用例もあります。これは元日に出世魚であるナヨシ(ボラのこと)を注連縄に挿して祝う風習について言及したものです。
このように、「しめなは」はその機能(領域を画する)に、「しりくめなは」がその形状(端が切り揃っていない)に着目した命名であって、基本的にはどちらも同じものであると考えられます。
ただし、この場面で「しめなは」とするのは、「天照大神のためにではなく、天照大神にたいしてそれを張るのはシメナハの本義に背くことになる」(記注釈)とあるとおり不適切であり、そのため中立的な表現である「しりくめなは」を用いたものと考えられます。
控度其御後方
控度其御後方は、其の御後方(みしりへ)に控(ひ)き度(わた)して、と訓読します。フトダマはアマテラスの後ろに尻くめ縄を張って、アマテラスがそこから先(石屋戸)に戻れないようにしました。こうしてアマテラスが石屋戸から引っ張り出された暁に、高天原と葦原中国はようやく光を取り戻すことになります。