イザナギの事依さしを受けた後、アマテラスとツクヨミの二神はそれに従い、それぞれの領域を治めていましたが、スサノオだけは、委任された海原を治めようとせずに、成人してあごひげが胸元に届くほどになっても、泣きわめいてばかりいました。
そのエネルギーはすさまじく、青山を枯らし、川や海を干上がらせるほどでした。そして世界は悪神のざわめく声と災いにあふれかえってしまいました。
泣きわめくスサノオの段・本文
各
各は、おのもおのも、と読みます。宣長は、続日本紀の称徳天皇の宣命に「於乃毛於乃毛」(続紀・巻二十六)とあるのに従ってこう訓みましたが、現代と同じように、おのおの、と訓むこともできます。
隨
隨は、まにまに、と訓みます。〜に従って、〜のままに、という意味です。布斗麻邇(ふとまに、鹿の肩胛骨をあぶってできる裂け目を見て占うもの)の「まに」はこの意味であるという説を、そこで紹介しました。現代では「ままに」が普通ですが、「まにまに」も使われます。
知看
知看は、しろしめす、と訓みます。しらしめす、もあります。「知らす」は「知る」(治める)の尊敬語、「看す」は「見る」の尊敬語ですが、ここでは尊敬を表す補助動詞として使われています。「聞こしめす」「思しめす」などの用例があります。
八拳須
八拳須は、やつかひげ、と読みます。「八拳」(やつか)は「十拳劔」(とつかのつるぎ)と同じ形ですが、ここでは「拳八つ分」という具体的な長さではなく、「いくつもの拳を連ねたくらいに長い」という意味です。「八」は具体的な数ではなく、数が多いことを表す一種の美称です。「八握劔」(景行紀十二年)、「八束穂」(祝詞)、「八掬脛」(越後国風土記逸文)などの用例があります。「須」(ひげ)は「鬚」の原字(もともとの字)です。
心前
心前は、むなさき、と読みます。胸の先という意味です。「八拳須が伸びて胸の先に至るまで」は「大人になるまで」という意味になります。慣用句だったようで、ほかに本牟智和氣(ほむちわけ)王が、
八拳鬚心の前に至るまで眞事(まこと)とはず(垂仁記)
阿遲須枳高日子(あぢすきたかひこ)命が、
御須髪(みひげ)八握に生ふるまで、夜晝(よるひる)哭きまして(出雲国風土記仁多郡条)
などの用例があります。
啼伊佐知伎
啼伊佐知伎は、なきいさちき、と読みます。「いさちる」とは激しく泣くことです。すぐ後で「伊佐知流」(いさちる)とあることから、上一段活用であることが分かります。なお、日本書紀のスサノオが泣く同じ場面では、
勇悍(いさみたけ)くして安忍(いぶり)なること有り。且常に哭き泣(いさ)つるを以て行とす。(本文)
性悪くして、常に哭き恚(ふつく)むことを好む。(第二)
常に啼き泣(いさ)ち恚恨(ふつく)む。(第六)
とあり、スサノオが「性悪で残忍でいつも怒っている」悪神として描かれていますが、古事記にはそのような記述はなく、スサノオは悪神であるとはみなされていません。スサノオの莫大な荒ぶるエネルギーが、結果として災いをもたらしている、ということだけが描写されています。
靑山如枯山泣枯、河海者悉泣乾
靑山如枯山泣枯、河海者悉泣乾は、スサノオが「啼きいさちる」ことで、「草木の生い茂った青い山が枯れ山になり、川や海がことごとく干上がってしまった」ということです。その負のエネルギーのすさまじさが印象的に表現されています。宣長は「泣けば、涙の出る故に、其涙のかたへ吸取られて、山海河の潤澤(うるほひ)は、涸るにやあらむ」としています。
惡神之音
惡神之音は、惡(あら)ぶる神の音なひ、と読みます。惡しき神の音(あしきかみのこゑ)とも読みます。国譲り・天孫降臨の段にあたる日本書紀の一書に、「葦原中國は、磐根・木株・草葉も、猶能く言語(ものい)ふ。夜は火(ほほ)の若(もころ)に喧響(おとな)ひ、晝(ひる)は五月蠅如(さばへな)す沸き騰る」、その訓注に「喧響、此云淤等娜比(おとなひ)」、「五月蠅、此云左魔倍(さばへ)」とあります。
また書紀本文にも「彼の地に、多に螢火の光く神、及び蠅聲(さばへな)す邪しき神有り。また草木咸(ことごと)に能く言語有り」とあり、天孫降臨の段階での葦原中国は、まさにここでスサノオが作り出してしまった状況そのものです。古事記の天孫降臨の段では、葦原中国は「いたくさやぎて有りなり」「道速振る(ちはやぶる)荒振る(あらぶる)國つ神等の多在り」と描かれます。
葦原中国の騒然とした無秩序な様子を表すこれらの描写から、宣長は「惡神」を「惡しき神」ではなく、「惡(あら)ぶる神」とし、「音」を「こゑ」ではなく「おとなひ」としました。「おとなひ」は「おとなふ」(音を立てる)の名詞形です。「悪しき神の音(こえ)」よりも、「あらぶる神の音なひ」の方が、より動的で勢いがあり、よりその騒然とした様子を伝える表現になっています。
如狹蠅皆滿
如狹蠅皆滿は、さばへなすみなみち、と訓読します。「狹蠅」(さばへ)の「さ」は「早苗」「五月」「早乙女」の「さ」で、農業を表します。「さばへ」とは「田植えの頃の蠅」つまり「五月蠅」で、「うるさい」ことを表します。宣長は、
狹蠅は、書紀の字の如く、五月ごろの蠅なり、然るを佐都伎(さつき)といはで、佐(さ)とのみ云ふは、田植る農業(わざ)を、凡て佐と云ふ、その苗を佐苗、植る女を佐少女(さをとめ)、植始むるを佐開(さびらき)、植終るを佐登(さのぼる)など云が如し、さて又其の業(わざ)する月を佐月(さつき)と云ひ、其の頃の雨を佐亂(さみだれ)と云なり、かかれば、狹蠅も、田植るころの蠅と云意の称なり、其の頃殊に此虫は多かる故に、名に負えるなり。
と説明してます。
「如す」(なす)は天地初發の段でも出てきた「くらげなすただよへる」の「なす」で、「〜のように」という意味です。
宣長は「滿」は「涌」(わく)の誤りであろうとし、これを「滿(わ)き」と訓みました。その根拠として、出雲國造神賀詞の
晝(ひる)は五月蠅如すみな沸きて、夜は火如す光神在り。
を挙げています。一方、記注釈では、推古紀三十五年の条の「夏五月、有蠅聚集。其凝累十丈之。浮虚以越信濃坂。鳴音如雷」、斉明紀六年の条の「蠅群向西、飛踰巨坂。大十圍許。高至蒼天」の記述から、「『鳴る音雷の如し』とあるように、それはうるさいというより凄まじい」、だからこそ「サバヘナス皆満ち」と言ったのだ、とします。
つまり、普通に使う「蠅のように涌く」では不十分で、「五月蠅のように、辺り一面に満ちる」とした方が、実際の田植えの時期の蠅の様子を表現するのにぴったりだ、ということです。確かに、ここでは主語が「惡ぶる神の音なひ」ですので、「音なひが涌く」よりも「音なひが満ちる」の方が表現としても自然で、かつ迫力があります。
萬物之妖
萬物之妖は、よろづのもののわざはひ、と読みます。ここでの「物」というのは、妖怪や鬼といった、超自然的な霊的存在を指します。「物の怪」(もののけ)の「物」です。
「妖」(わざはひ)は「わざ」(神霊や妖鬼の意図、行い、しわざ)+「はひ」(這ひ、広がっていくさま)の意味と考えられており、「物の妖」は、「妖鬼や神霊のしわざによる悪いこと、災禍」という意味になります。単に「萬の妖」とするよりも、葦原中国にあふれつつある「モノ」によるしわざであることが強調されています。
(1.5.2 須佐之男命の涕泣(2) に続きます。)