また、食べ物を大気都比売神おおげつひめのに乞うた。そして大気都比売が、鼻や口や尻から、さまざまなおいしい物を取り出し、さまざまに調理し盛り付けて差し出した時に、 速須佐之男命はやすさのおのみことは、その様子を立ちうかがって、食べ物をけがして差し出すのだと思い、すぐさまその大宜津比売神を殺した。すると、殺された神の身体に成った物は、頭に蚕がなり、二つの目に稲種がなり、二つの耳に粟がなり、鼻に小豆がなり、陰部に麦がなり、尻に大豆がなった。そこで、神産巣日御祖命かみむすびのみおやのは、これらを取らせて種とした。

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スサノオはたくさんの祓具(はらへつもの)と髪と手足の爪を贖罪のために差し出し、ついに高天原からも追放され、根の堅洲国に赴くことになりましたが、その前に、オオゲツヒメがご馳走を準備します。その様子をうかがったスサノオは、誤解からオオゲツヒメを殺してしまいます。

は、通常、ここは「又」ではなく「故」や「爾」となるべきところですが、それでも唐突の印象を免れません。紀一書に、スサノオの追放が決まった後、

時に霖(ながめ)ふる。素戔嗚尊、青草を結束(ゆ)ひて、笠蓑(かさみの)として、宿を衆神(もろかみたち)に乞ふ。衆神の曰はく、「汝は是(これ)躬(み)の行(しわざ)濁悪(けがらは)しくして、逐(やら)ひ謫(せ)めらるる者(かみ)なり。如何(いかに)ぞ宿(やどり)を我に乞ふ」といひて、遂に同(とも)に距(ふせ)く。是を以て、風雨甚(はなは)だふきふると雖(いへど)も、留り休むこと得ずして、辛苦(たしな)みつつ降りき。(神代紀・第七段・一書第三)

というくだりがあります。追放されたスサノオが笠や蓑を身に着けて、神々に宿を乞うたところ、「悪行により追放された者が、なぜ宿を乞うのだ」と断られ、激しい風雨にも宿をとって休むことができず、辛い目に遭いながら去っていった、ということです。

これと同様の伝えが、古事記のこの「又」の前にもあったが、脱落してしまったのではないか、とする説があります(古事記伝、賀茂真淵説)。

この説に従うと、ここで食物をオオゲツヒメに乞うたのはスサノオであることは明らかとなりますが、現状のままだと主語が不明瞭で、スサノオであるとする説と、八百万の神が追放されるスサノオのために用意させたかとする説(全集記)があります。

ここと類似の伝承は、神代紀の第五段の最後の一書(第十一)にあります。そこではスサノオではなくツクヨミになっており、三貴子誕生の段である第五段にあって、他と関連を持たない独立した説話になっています。

古事記におけるこのくだりも、本文の流れからは独立・遊離した内容となっていますが、五穀起源説話として重要なため、「多少無理をしてもやはり省くわけにはゆかなかったのだろう」(記注釈)と考えられます。

食物

食物は、をしもの、と読みます。「をす」は「食ふ」の尊敬語です。敬語表現でない場合は「くらひもの」といいます。

大気都比売神

大気都比売神は、おほげつひめの神、と読みます。「け」「げ」は食べ物を意味します。上のツクヨミが殺した女神の名は保食神(うけもちのかみ)ですが、「うけ」「うか」も同じ意味です。いずれも、食物の女神です。大八島誕生の段の粟国(徳島県)の名も同じですが、別の神です。

自鼻口及尻

自鼻口及尻は、オオゲツヒメの鼻や口や尻から種々のおいしい物が出てきます。上に挙げたツクヨミの紀一書には、

保食神、乃(すなわ)ち首(かうべ)を廻(めぐら)して国に嚮(むか)ひしかば、口より飯出ず。又海に嚮ひしかば、鰭広(はたのひろもの)・鰭狭(はたのさもの)、亦口より出ず。又山に嚮ひしかば、毛麁(けのあらもの)・毛柔(けのにこもの)、亦口より出ず。

と、口から出てくるだけで、鼻や尻から出てくる描写はありません。

味物

味物は、ためつもの、と読みます。おいしい物という意味です。

宣長は、応神記の天之日矛の段の「珍味」も「ためつもの」と訓むとしています。延喜式の践祚大嘗祭に、

次辨官五位一人亦就版位、跪奏兩國所獻供御及多明物色目

とあり、その多明物(ためつもの)として酒・肴・菓・飯・菜などの色目が挙げられており、また多明米・多明酒・多明酒屋・多明料理屋という語も見えます。

「供御」(くご)とは天皇の食事、「ためつもの」とは大嘗祭のときに、臣下に賜る酒や食べ物のことを指します。貞観儀式の大嘗祭にも同様の記事が見えます。新撰姓氏録に、

多米宿禰  成務天皇御世、仕奉大炊寮。御飯香美、特賜嘉名。(右京神別)
(多米宿禰。成務天皇の治世に、大炊寮に仕えた。供する食べ物が美味だったので、それを褒め称えてこの名を賜った)

とあることからも、「ため」が食べ物のおいしいことを意味していることが分かります。大炊寮とは、宮中の神事の供物や宴会を担当する部署です。また紀一書の、

天甜酒(あめのたむさけ)を醸(か)みて嘗(にひなめ)す。(神代紀・第九段・一書第三)

の「たむ」も、酒の美味であることを指すと考えられます。この訓みと意味は、倭名抄の「■(酉へんに覃)酒 日本紀私記云甜酒多無佐介(たむさけ)今案可用此字 酒味長也」によります。

語源については、時代別国語大辞典は「これら(注:タムサケ・タメツモノ・タメツサケなどの語)から抽出される動詞タムは、舌で味わうというような意であろう」とし、集成記は「『ため』は神から賜る(下二段動詞『賜(た)ぶ』)ことの意」としています。なお、全集記はこれを「うましもの」と訓んでいます。

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爲穢汚而奉進

爲穢汚而奉進は、穢汚(けが)して奉進(たてまつ)ると為(おも)ほして、と訓読します。

宣長はこの「而」は「物」の誤りであるとして、「穢汚而」を「きたなきもの」と訓んでいます。対応する紀一書の記述は、

月夜見尊、忿然(いか)り作色(おもほてり)して曰はく、「穢(けがらは)しきかな、鄙(いや)しきかな、寧(いづくに)ぞ口より吐(たぐ)れる物を以て、敢へて我に養(あ)ふべけむ」とのたまひて、廻(すなは)ち剣を抜きてち殺しつ。(神代紀・第五段・一書第十一)

となっています。

蚕・稲種・粟・小豆・麦・大豆

蚕・稲種・粟・小豆・麦・大豆は、殺されたオオゲツヒメの身体の各部位にこれら六種の作物が成りました。

古事記では頭に蚕、目に稲種、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆がなったとありますが、対応する紀一書では、

其の神の頂に牛馬(うしうま)化為(な)る有り。顱(ひたひ)の上に粟生れり。眉の上に蚕生れり。眼の中に稗(ひえ)生れり。腹の中に稲生れり。陰(ほと)に麦(むぎ)及び大小豆(まめあづき)生れり。(神代紀・第五段・一書第十一)

となっています。大系本書紀は、朝鮮語において、「頭と馬」「顱と粟」「眼と稗」「腹と稲」「女陰と小豆」の組は音韻の上で類似する組み合わせ(例:眼(nun)と稗(nui))になっており、書紀の編者に朝鮮語の分かる人がいて、このような結びつきを与えたという説を提示しています。

また、「眉と蚕」の組は日本語において「眉と繭」の語呂合わせであることは古くから指摘されていたようです(古事記伝)。

古事記においては、書紀におけるこのような身体の部位と作物との対応関係はないようですが、蚕だけが頭で、他の穀物五品はすべて人体の穴に成っており、しかも口をのぞく、という点が興味深いところです。記注釈はこれを「女性原理にもとづくもの」と説明しています。

なお、五穀のうち、稲種だけ「種」を付ける理由を、宣長は「餘(ほか)の四品は、種と云はねど、おのづから実のことなるを、稲は伊禰(イネ)とのみ云ては、穂に在る時の名にして、実とは聞えず、茎ながら生たる如(ごと)聞えて、まぎらはしければなり」と説明しています。

神産巣日御祖命

神産巣日御祖命は、かみむすびのみおやの命、と読みます。天地初發の段に出てきた神産巣日神のことです。

この「御祖」(みおや)という言葉は、古事記に十六回(同一場面の重複を除けば十一回)出てきますが、すべて「母親」という意味で出てきています。

一方、単に「祖」(おや)と言った場合には、「建比良鳥命は、出雲国造・・・遠江国造等の」「天児屋命は中臣連等の」という具合に、もっぱら「祖先神」という意味で使われます。

このように古事記においては、「御祖」「祖」という言葉が厳密に使い分けられており、したがってカミムスビも母神とされていることが分かります。ここでは記注釈のように、オオゲツヒメの母神として登場したものとするのが自然な見方になります。

天地初發のときに成った造化三神のうち、タカミムスビは高天原に、カミムスビは葦原中国に影響力を発揮します。もともと「ムスビ」とは生成力の意でした。

カミムスビは五穀起源説話(この段)や、のちの大国主とスクナビコナの国づくりの段に出てくるところから、特に葦原中国の大地・国土の生産や生成に関わる神であることが分かります。

出雲地方において古くからカミムスビを女神として祭っている神社が複数あることから、元々は女神として出雲地方の土着の人々に信仰されていた神として始まったのであろうとする説がありますが、古事記に出てくるカミムスビはもはや出雲の神ではなく、高天原の神として、高天原の権威を代表する形で葦原中国に関わっています。

稲種をはじめとする五穀は高天原からもたらされ、葦原中国の完成も高天原のカミムスビの協力と命令によってはじめて成し遂げられたという主張が、古事記の記述から読み取れます。

日本書紀ではその立場は一層明確です。紀一書で、ツクヨミに斬り殺された保食神の身体に五穀が成った後の展開は、

天熊人、悉(ふつく)に取り持ち去(ゆ)きて奉進(たてまつ)る。時に、天照大神喜びて曰はく、「是の物は、顯見(うつ)しき蒼生(あをひとくさ)の食(くら)ひて活(い)くべきものなり」とのたまひて、乃ち粟・稗・麦・豆を以ては、陸田種子(はたけつもの)とす。稲を以ては水田種子(たなつもの)とす。又因りて天邑君(あまのむらきみ)を定む。即ち其の稲種(いなだね)を以て、始めて天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)に殖(う)う。

というものです。五穀は天熊人によりすべてアマテラスに献上され、葦原中国の蒼生(あをひとくさ、人間の事)はその五穀を育てて食べて生きていくことを、アマテラスによって定められました。

五穀そのものも、その上に成り立つ人間の食生活も、すべてがアマテラスの恵み・思し召しであるという主張がはっきりと示されています。

なお、天熊人の「熊」(くま)は「くましね」などの「くま」で、神に献ずる米の意であると考えられます。