次に地上世界の陸地がまだ幼く、水に浮かぶ脂のようで、くらげみたいにゆらゆらと漂っている時に、葦の芽のように萌え出たものによって成った神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅うましあしかびひこぢの神、次に天之常立あめのとこたちの神。この二柱の神もまた、独神として成り、すぐに姿を隠した。
 以上の五柱の神は別天ことあまつ神である。

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天地初発の「地」のイメージ

「天地初發之時」の「地」の部分はこのように描写されています。古事記においては、高天原においても、葦原の中つ国においても、黄泉の国においても、とかく情景描写が乏しい傾向にあり、文章だけではなかなか映像をイメージしづらいところがあります。しかし、この段においては、わりあい具体的なイメージが浮かびやすいのではないでしょうか。

地上世界はほぼ一面海水に覆われていて、そこに陸地とも島ともつかない泥土の塊みたいなものがくらげのようにゆらゆらと漂っている、そしてその泥土の塊のようなものから葦が芽吹くように何かが出てきて、ウマシアシカビヒコヂの神、アメノトコタチの神となり、すぐに姿を隠した。おおかたこのようなイメージになるかと思います。

本居宣長は古事記伝の中で「未だ天地成らざる時にて、海も無ければ、ただ虚空に漂へるなり」と言っています。つまり、まだ天地はできあがっておらず、したがって海もなく、虚空があるだけで、その中をふわふわ漂っているものと解すべきだ、というのです。

ですが、このくだりを読むと、私たちは自然に上に述べたようなイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。それはひとえに、「浮き脂」「くらげなすただよへる」という具体的なイメージを持つ言語表現の力だと思います。浮き脂やくらげという言葉からは、海面近くをゆらゆら漂っている姿が思い浮かびます。

実際、のちにイザナギ・イザナミが天沼矛という矛を天から地上世界に指し下ろして、潮をこをろこをろと音を立てながらかきまぜる、という描写が出てくることからも、この物語世界を創ったり、語り継いだりしてきた人たちも、やはりそのようなイメージを持っていたものと考えられます。

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古事記の天地初発における「国」とは

「国」はここでは、いわゆる国家という意味ではなく、国土や土地といった意味になります。天地(あめつち)と言った場合の「地」は、天空に対する地上という意味で、自然地理的な意味での陸地・海洋という意味合いになりますが、「国」と言った場合には、人間が住まう世界としての土地という側面に着目しています。

ちなみに、「くに」という言葉には、もともと境界または境界で仕切られた土地の領域、という意味があったらしく、そこから派生して今で言う国家という意味を持つようになったようです。

この「国」という言葉は、高天原に対するものと考えられます。つまり単純に言うと

  • 天⇔地 「天空」と「地上」 自然的
  • 高天原⇔国 「天つ神の住まう世界」と「国つ神と人間の住まう世界」 人文・社会的

地(つち)と言えば自然的な対象ですが、国(くに)と言えばそこに人間が関わってきます。古事記の物語においては、のちに地上世界は葦原の中つ国として、天つ神の子孫の統治するところとなります。したがってそれは単なる陸地・海洋ではなく、将来統治する対象となる国つ神や人間を含めた土地・国家のことです。そのことが物語のこの時点ですでに強く意識されており、それがこの「稚く」という表現に表れているものと考えられます。

1.1.2 別天神(2)に続きます。)