造化三神が隠れた後の地上世界の陸地は、海に漂うクラゲのようなもの(くらげなすただよへる)で、そこから葦の芽のようにウマシアシカビヒコヂが、次にアメノトコタチが成り、すぐに姿を消します。

この場面の描写はクラゲ、水に浮ぶ脂、葦の芽と、非常にイメージ豊かなものです。

別天神の段・本文

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(前の記事の続きです。前記事は1.1.2 別天神(1)です。)

久羅下那洲多陀用幣琉

久羅下那洲多陀用幣琉は、くらげなすただよへると読みます。いわゆる万葉仮名と呼ばれるものです。なすは「似す(にす、なす)」のことで、〜のよう、〜みたい、という意味です。

葦牙

葦牙は、あしかび、と訓みます。と訓みます。葦はイネ科の植物で、河川敷や湿地帯に群生し、成長すると2メートル以上にもなります。すだれの材料としておなじみです。

牙(かび)は芽という意味で、黴(カビ)と同じ語源です。かつての日本列島の海辺や川辺や湖畔は葦で一面に覆われていたようで、成長も早く、自分たちの背丈よりもずっと高くなる葦が、見渡す限りに繁茂している姿は、古代人にとっては見慣れたものであり、また自然の生命力の驚異を感じさせるものでもあったと考えられます。そのような葦の勢いよく芽吹く姿に、この宇宙の生命の生成する力そのものを託すことで生み出された神格が、ウマシアシカビヒコヂの神なのでしょう。

宇麻志阿斯訶備比古遅神

宇麻志阿斯訶備比古遅神は、うましあしかびひこぢの神、と読みます。これもいわゆる万葉仮名です。うまし、は美称です。よい、美しい、といった意味があります。「うまし国」「うまし御路(みち)」など、多くの用例があります。あしかび、は上に述べた通りです。

ひこは、男性の美称です。古代においては、高貴な立場の男性の名前につけられていることが多いようです。さらに分解すると、「ひ」(ムスヒのヒと同じ。超自然的な霊的な力)「こ」(子、男子という意味)となります。対応する女性の美称は「ひめ」です。これは「ひ」+「め」(女子という意味)と分解できます。これが現代でも使われている「おヒメさま」の語源です。男性に対しては、「おヒコさま」とは言いませんが、人名にしばしば用いられています。

ひこぢのぢ、も男性の美称です。古くは父を「ち」と呼びました。ここでは連濁により「ぢ」となっています。親父・伯父・叔父の「ぢ」はすべてこの意味です。このことからウマシアシカビヒコヂは男神と考えられます。一方、大系紀補注のように、日本書紀の伝承におけるこの神と泥の観念との関わりから、このヒコヂはコヒヂ(泥の古語)の転訛であろう、とする説もあります(日本書紀には多くの神話伝承が載っていて、そのいくつかにこの神の名前が出てきます。後述)。

まとめると、ウマシアシカビヒコヂの神は「萌え出る葦の芽のような生命力を象徴する男神」という意味になります。

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天之常立神

天之常立神は、あめのとこたちの神、と訓みます。常(トコ)を底(ソコ)や床(トコ)、つまり、ある世界の彼方の極限であるとか、土台であるなどとする説があります。とこしえ=永遠・永久・恒久の「とこ」です。立(タツ)は存立する、または出現する、という意味で、天の永遠性を象徴する神、もしくは天の場の出現を象徴する神ということになります。次に現れる国之常立神と対になる神格と思われますが、この二柱は配偶神の関係にはなく、それぞれが独神になっています。

アメノトコタチは、アメノミナカヌシ同様、古事記本文中に一度名前が出るだけで、以後物語上には一切事績を残しませんし、子もいません。

また、クニノトコタチの方は、日本書紀本文では最初に登場する神という別格の扱いで描かれ、さらに古事記のみならず、日本書紀の本文や六つ掲載されている一書(あるふみ、異伝のこと)のすべてに登場するのに対して、アメノトコタチの方は、古事記以外では日本書紀の一書のうちの一つだけにしか出てきません(ついでに言うと、アメノミナカヌシもそうです)。

このことから、アメノトコタチとアメノミナカヌシは、古くから信仰されていた神ではなく、古事記において神話を構成する際に、つじつま合わせや数合わせのために新たに付け加えられた神格であるという説があります。数合わせ、というのは、この二柱を加えると、天地初發の際の神の数が三・五・七となってすべて奇数(中国の陰陽思想でいうところの陽の数)となり、好まれたからだ、ということです。以上のことは、クニノトコタチのところでも少し触れてみたいと思います。

別天神

別天神は、ことあまつかみ、と訓みます。「特別の、別格の天つ神」という意味です。