スサノオの六世孫としてオオクニヌシ(大国主神)が生まれます。オオクニヌシには、オオナムジ(大穴牟遅神、大巳貴命)、葦原醜男、八千矛神、国玉神(国魂)など、数多くの異名があります。
今後の物語の展開においても、その異名の多彩さ同様に様々な側面を見せるオオクニヌシは、様々な背景、機能を持った神々が一個の人格神として統合された存在であることがうかがえます。
スサノオからオオクニヌシに至る系譜の段・本文
(前の記事の続きです。前記事は1.7.7 スサノオの系譜・続(1)です。)
大国主神
大国主神は、おほくにぬしの神、と読みます。偉大なる国の主という意味です。のちにスサノオがオオナムヂに向かって、大国主になれ、と詔したことによります。
その後、オオナムヂはスサノオの娘であるスセリビメを娶り、スサノオから奪った大刀・弓を持って兄である八十神たちを追い払い、葦原中国を平定し、名実ともに大国主となりました。
以下に見ていきますが、オオナムヂには大国主をはじめ、さまざまな異名があり、いずれもオオナムヂという神格の一つの側面を表しています。
次の段からは、この神の活躍ぶりを見ていくことになります。
大穴牟遅神
大穴牟遅神は、おほなむぢの神、と読みます。
この神名表記には様々なバリエーションがあり、大汝(万葉集)、大己貴(紀)、大奈牟智(新撰姓氏録)、大奈母智(文徳実録)、大名持(三代実録・延喜式)、大穴道(万葉集)、大穴持(延喜式・出雲国風土記)、大穴牟遅(新撰姓氏録)などがあります。
読み方も「おほなむぢ」「おほなむち」「おほなもち」「おほあなむち」という具合に揺れがあります。
「むぢ」「むち」は書紀におけるアマテラスの別名「大日貴」(おほひるめのむち)と同じく尊称で、「大己貴」の「貴」が「むち」と訓まれています。「む」は「身」、「ち」は神霊の意かと言われます(時代別国語大辞典)。
「な」については、土地の意とも名声の意とも言われます(地震を「なゐ」ということから、「な」は土地・地面であるとする説がある)。
これらから、「おほなむぢ」は「大いなる名(土地)をもつ貴い神」といった意味になると考えられます。
一方、「な」に対して「穴」(あな)をあてる表記も多いこと、万葉集の
大汝 少彦名の いましけむ 志都の石屋は 幾代経ぬらむ (三・三五五)
にあるように、石屋と結び付けられていること、またのちに地下世界とされる根の国へ赴くことなどから、「な」よりも「あな」が原型であるとして、これを洞穴(ほらあな)と結び付ける説もあります。
葦原色許男神
葦原色許男神は、あしはらしこをの神、と読みます。書紀では「葦原醜男」とあります。
黄泉の国の段で、「よもつしこめ」「いなしこめしこめき穢き国」とあったように、「しこ」は醜いという意味ですが、「此の御名は、勇猛を美(ほめ)て云り」(古事記伝)する見方もあります。
「しこ」には多くの意味がありますが、①「醜い」が基本で、そこから派生して②「強い、頑強な」、また嘲りや罵倒の意を込めて③「愚かな、馬鹿な」という意味を持つようになりました。
①は万葉集の、
さし焼かむ 小屋の醜屋に かき棄てむ 破薦を敷きて うち折れむ 醜のしこ手を さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ 云々 (十三・三二七〇)
②は同じく万葉集の、
今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つわれは (二十・四三七三)
③は万葉集中に用例が多く、
大夫(ますらを)や 片恋ひせむと 嘆けども 鬼(しこ)の大夫 なほ恋ひにけり (二・一一七)
忘れ草 わが下紐に 着けたれど 醜の醜草 言(こと)にしありけり (四・七二七)
うれたきや 醜霍公鳥(ほととぎす) 暁の うら悲しきに 追へど追へど なほし来鳴きて 云々 (八・一五〇七)
狂(たぶ)れたる 醜つ翁の 言だにも われには告げず 云々 (十七・四〇一一)
などがあります。
注目されるのは②と③の用法で、②の「醜の御楯」は防人の兵士による謙譲もしくは兵士の屈強さを言ったもの、③の「鬼の大夫」は自嘲、③の他のものは罵倒する表現になっています。
「葦原色許男」はスサノオが娘のスセリビメを娶ろうとするオオナムヂを呼んだもので、この「しこ」は娘を奪おうとする男神を罵倒したものとも、その屈強さを称えたものとも言われます。
葦原と「しこ」のつながりですが、注目されるのは神武記の歌、
葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて 我が二人寝し
です。「しけし」は新撰字鏡に「蕪 穢也、荒也、志介志(しけし)」とあり、記注釈はこれを「しこ」の形容詞形であるとしています。また、書紀の葦原中国平定の段のタカミムスビの言葉に、
吾、葦原中国の邪(あ)しき鬼(もの)を撥(はら)ひ平(む)けしめむと欲(おも)ふ。(神代紀・第九段・本文)
とあるように、葦原中国は鬼の住まう世界とされており、鬼はまた「しこ」でもありました(上の例にもあるように、万葉集に鬼を「しこ」と訓ませた例がいくつかある)。
このように、古事記神話の世界観においては、「葦原」は、醜さ・屈強さ・鬼魅的な要素を表す「しこ」という言葉で表現される世界として捉えられていました。
これに基づくと、「葦原色許男」の名には、その「しこ」の葦原を代表する存在であるという意味が込められていると言えそうです。
八千矛神
八千矛神は、やちほこの神、と読みます。多くの矛を持つ神、という意味です。大国主が高志国の沼河比売と歌を取り交わす場面でこのように呼ばれています。この神名については、そのときにふたたび触れます。
宇都志国玉神
宇都志国玉神は、うつしくにたまの神、と読みます。
「宇都志」は「うつしき青人草」の「うつし」で、顕在している、この世に生きている、この世の、という意味です。黄泉国や根の国から見たときの葦原中国を言い表すときに使われる表現です。
この神名は、オオナムヂがスセリビメを奪って根の国から脱出するときに、スサノオがオオナムヂに向かって、
意礼(おれ、筆者注:お前の意)大国主と為(な)り、亦宇都志国玉神と為りて、其の我が女(むすめ)須世理毘売を嫡妻と為(し)て、云々
と呼ばわったことによります。
国玉とは国魂つまり「国土の神霊」という意味です。「うつし」を冠することで葦原中国全体を指しています。
国魂は各国で祭られていて、延喜式神名帳にも大和、山城、和泉、摂津、河内、伊勢、尾張、遠江、能登、対馬などに(大)国魂(命)神社、大国玉比売神社、大国霊神社、生国玉比古神社などの名が見えます。古事記伝によると、
其国を経営(つくり)坐(まし)し功徳(いさを)ある神を、国玉国御魂と云なり。
したがって、ここも、のちに葦原中国全体をつくり上げた大国主の功績に基づく命名であることが分かります。
并有五名
并有五名は、大国主神、大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、宇都志国玉神の五つの名があるということです。
紀一書(第六)には大国主神、大物主神、国作大己貴命、葦原醜男、八千戈神、大国玉神、顕国玉神と七つの名が挙げられています。
このうち、大国玉神と顕国玉神は、同じ意味による命名なので同一視するとしても、この一書の方には大物主神が余分に加わっています。
古事記においては、この大物主神は大国主の国づくりの段で登場します。この神についてはそのときに触れることになります。
上にも述べましたが、この神には多くの側面があり、それぞれの側面が対応する異名によって表されています。逆に言うと、さまざまな背景・機能を持った神々が一個の神格に統合されたものがこの神であるということです。そのことは、以下の物語の叙述に見ていくことになります。
(第一部終わり)