ヒノカグツチに陰部を焼かれて死んだイザナミの吐瀉物から、鉱山の神カナヤマビコ・カナヤマビメが、糞から土の神ハニヤスビコ・ハニヤスビメが、尿から水の神・ミツハノメが成り、さらにワクムスビが成ります。ワクムスビは農産の神で、伊勢神宮外宮の祭神・食物の神として有名なトヨウケビメを生みます。

なお、ヒノカグツチ・カナヤマ・ハニヤスの間には、天香山にまつわる祭式的な興味深い関連があるといいます。

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ヒノカグツチ誕生の段・本文

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(前の記事の続きです。前記事は1.3.7 火之迦具土神ほかの誕生(1)です。)

多具理邇

多具理邇は、たぐりに、と読みます。嘔吐物のことです。「たぐる」には大きく分けて、「嘔吐する」「咳をする」の二つの意味があります。神代紀一書に、保食神が月夜見尊をもてなすために、口からさまざまなご馳走を吐き出すのを見て、月夜見尊が怒って「寧ぞ口より吐(たぐ)れる物を以て、敢へて我に養ふべけむ」と言うくだりがあります。「物類称呼」という江戸時代の方言辞典には「関西では咳をたぐるといふ」とあります。現在でも、どちらの意味においても、方言として西日本を中心に使われているようです。

金山毘古神、金山毘売神

金山毘古神、金山毘売神は、かなやまびこの神、かなやまびめの神と読みます。鉱山の神です。嘔吐物が鉱石を火で熔かした有様に似ているところからの連想だとする説があります(大系記)。延喜式神名帳に、河内国大縣郡金山孫(びこ)神社・金山孫女(びめ)神社、美濃国不破郡仲山金山彦神社があります

波邇夜須毘古神、波邇夜須毘売神

波邇夜須毘古神、波邇夜須毘売神は、それぞれ、はにやすびこの神、はにやすびめの神と読みます。土の神です。「はに」は粘土で、土器などの材料になる土のことで、埴土(はにつち)とも言います。埴輪の「埴」はこれです。本居宣長は、新撰字鏡(日本最古とされる漢字字典)に「挺は泥物を作るを謂ふ也。禰也須(ねやす)」とあることから、この「はにやす」は「はにねやす」であるとし、糞の形状から粘土をこねたものを連想したのだろうと考えました。

なお、宣長は迦具土・金山・波邇夜須の三組の神々について次のように述べています。

上件迦具土金山波邇夜須と云名、皆天の香山に由縁あり、先づ彼の山の名迦具土と同く、又此の神の所殺(ころされ)坐る身躰に、諸の山津見神の成坐るも、山に由あり、又石屋戸の段に、「天の金山の鉄を取り」とあるを、書紀には天の香山とあれば、香山と金山も由あり、又波邇夜須と云地名の、倭の香山にあるも由あり、これらたまたまに然ることとは聞えず、いかさまにも所以ありげなるゆゑに、驚かしおくなり。

つまり、迦具土・金山・波邇夜須の三組の神々は、次の点でそれぞれ天の香山(あめのかぐやま)に関係があり、これは偶然とは思えない、と言うのです:

  • 迦具土は、この山(天のカグ山)と同じ名で、父であるイザナギに殺された後にその死体から諸々の山津見神が成る。
  • 金山は、石屋戸の段で、古事記には「天の金山の鉄(かね)を取りて」とあるのが、日本書紀一書では「天香山の金(かね)を採りて」とある。
  • 波邇夜須は、大和の天香山に埴安(はにやす)という地名がある。

三つ目については、神武紀に、

天皇、前年の秋九月を以て、潜に天香山の埴土を採りて、八十の平瓮(ひらか)を造りて、躬自(みづか)ら斎戒して諸神を祭りたまふ。遂に區宇(あめのした)を安定むること得たまふ。故、土を取りし處を號けて、埴安と曰ふ。

というくだりがあります。今では地名としては残っていないようですが、万葉集に埴安堤、埴安池として言及されています。天香山は大和の中心にある山であり、その土を手に入れることは日本の国土を手に入れることである、という観念があり、それに基づいた呪術的祭式であると考えられます。

なお、記注釈は、「カグヤマを座標軸として、カグツチ・カナヤマ・ハニヤス諸神のあいだに一つの祭式的連関ともいうべきもの」があると推定し、その連関を経てこれら三神が相次いで生まれてきたのではないか、としています。

彌都波能売神

彌都波能売神は、みつはのめの神と読みます。「み」は水と考えられますが、「つ」「は」は未詳です。「水つ走(は)」「水つ早(は)」で灌漑用の水を走らせる神という説があります(大系記)。日本書紀に水神罔象女(みつはのめ)が出てきます。

和久産巣日神

和久産巣日神は、わくむすび(わくむすひ)の神と読みます。「わく」は「若い」で、日本書紀一書には稚産霊(わくむすび、わくむすひ)として出てきます。この一書では、イザナミがカグツチを生んだ後、瀕死の状態で土神埴山姫と水神罔象女を生み、カグツチが埴山姫を娶って生まれたのが稚産霊だとしています。さらに、この稚産霊の身体には、蚕や桑や五穀が生ります。

つまり、土と水が整った後に実りがもたらされることから、稚産霊は農産をつかさどる神であり、この伝承は農耕の起源を物語るものであると考えられます。これは「むすび」(生成力)の神名にも適っています。

なお、カグツチ(火)と埴山姫(土)からワクムスビ(五穀)が生まれる、というこの一書の伝承は、焼畑耕作が背景にあると考えられています。

古事記においても、和久産巣日神の職能について直接的な記述はありませんが、土の神・水の神の後に現れたことと、御子神である豊宇気毘売神が食物の女神であることから、やはり同様に農産の神であると捉えられていることが分かります。

豊宇気毘売神

豊宇気毘売神は、とようけびめの神と読みます。「とよ」は美称、「うけ」は大宜都比売の「げ」=「け」と同じで、食物という意味です。食物をつかさどる女神です。伊勢神宮外宮の祭神として著名です。大宜都比売(おほげつひめ)、保食神(うけもちのかみ)、宇迦之御魂(うかのみたま)、稲魂女(うかのめ)など、食物に関する神は重複が多く、また多くは女神であることが特徴的です。

神避坐

神避坐は、かむさりますと訓読します。黄泉の国へ去ってしまうことです。ここの「神」は、神々の行動を表す動詞につく接頭辞で、神集(つど)ふ、神逐(やら)ふ、神議(はか)る、などの用例があります。

自天鳥船至豐宇氣毘賣神八神

自天鳥船至豐宇氣毘賣神八神は、天鳥船から豊宇気毘売神まで合わせて八柱の神、という意味ですが、実際数えてみると、十柱になります。そこで本居宣長は数え方を工夫しました(次の項を参照)。

所生島壹拾肆島 神參拾伍神

所生島壹拾肆島 神參拾伍神は、イザナギ・イザナミの生んだ島の数は十四島、神の数は三十五柱ということです。島の数には問題はありませんが、神の数は、単純に数えると合いません。島生みの後の初めての神である大事忍男神から最後の豊宇気毘売神まで、挙げられた神の数四十柱です。ここから、二神の孫となる、速秋津日子・比売の御子神八柱、大山津見神・野椎神の御子神八柱、和久産巣日神の御子神の豊宇気毘売神を除くと二十三柱となります。

そこで、本居宣長は、対偶神の組である石土毘古・石巣毘売を一柱、速秋津日子・比売を一柱、大戸惑子・女を一柱、金山毘古・毘女を一柱、波邇夜須毘古・毘売を一柱として三十五柱とする数え方を提案しています。この数え方だと、前項の計数も十柱ではなく八柱となり、つじつまが合います。

ただし、こうすると、今度はこの段より前の段の計数(記本文ではヒコ・ヒメを分けて数えている)と合わなくなってしまいます。他には、イザナギ・イザナミが直接の親となった十七柱(上の二十三柱からさらに、たぐり・糞・尿から成った六柱を除く)に島のうち神名を持つもの十八柱(別名を持たない佐度島・淡道之穗之狹別島を除き、九州・四国の各国を一柱と数える)を合わせて三十五柱とする説などがあります(全集記)。

漢数字の壹・拾・肆・參は大字(だいじ)と呼ばれ、一、二、三といった漢数字は紛れやすく、改ざんされやすいので、それを防ぐ目的で、古くから公文書で用いられてきました。大宝律令の公式令に「凡是簿帳、科罪、計贓、過所、抄之類、有数者、為大字」とあります。壹・弐・参・肆・伍・陸・漆・捌・玖・拾・佰・仟・萬とありますが、現代ではこのうちの一部が使われています。ただし、本居宣長は、「されど此記にしも、其を用ひたるは、何の由にか、然らずともありぬべき物をや」(だけどこの古事記にまで、それを使うのはなぜだろう、その必要はなさそうなものを)と疑問を呈しています。

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