前段ではヒノカグツチを斬った御刀から建御雷(タケミカヅチ)を中心とする火や雷や剣や水に関わる神々が成っていきました。

この段では、ヒノカグツチの遺体から次々と神が成っていきますが、すべて山津見神であるところが特徴的です。すでに大山津見神が出てきており、重複しますが、神の名前や機能が重複することは、古事記においてはしばしばあることです。

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ヒノカグツチの死体に成る神々の段・本文

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頭、正鹿山津見神

頭、正鹿山津見神は、「正鹿」は「まさか」と訓みます。「真坂」のことであるとする説がありますが、未詳です。

胸、淤縢山津見神

胸、淤縢山津見神は、「淤縢」は「おど」と読みます。「下処」(おりど)のことであるとする説がありますが、未詳です。

腹、奥山津見神

腹、奥山津見神は、文字通り、奥山をつかさどる神と考えられます。奥山に対する言葉は外山(とやま)です。

陰、闇山津見神

陰、闇山津見神は、「闇」は「くら」と訓み、「谷」の意味でした。谷山をつかさどる神です。「陰」からの連想と考えられます。

左手、志芸山津見神

左手、志芸山津見神は、「志芸」は「しぎ」と読み、「繁木」(しぎ)または「繁」(しげ)に通じ、木々の茂った山をつかさどる神と考えられます。

右手、羽山津見神

右手、羽山津見神は、「羽山」は「端山」つまり麓の山をつかさどる神と考えられます。日本書紀一書に、

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)を斬りて、五段(いつきだ)に為す。此各五の山祇(やまつみ)と化為(な)る。一は首、大山祇となる。二は身中(むくろ)、中山祇と化為る。三は手、麓山祇(はやまつみ)と化為る。四は腰、正勝山祇(まさかやまつみ)と化為る。五は足、山祇(しぎやまつみ)と化為る。(神代紀・第五段・一書第八)

とあり、その訓注に「山の足を麓と曰ふ。此をば簸耶磨(はやま)と云ふ」とあります。他に「葉山」の意味とする説もあります。

左足、原山津見神

左足、原山津見神は、文字通り、原山をつかさどる神と考えられます。

右足、戸山津見神

右足、戸山津見神は、「戸山」は「外山」(とやま)で、「奥山」に対して言います。里に近い山を指します。神楽歌の、

深山(みやま)には 霰(あられ)降るらし 外山(とやま)なる 真拆(まさき)の葛 色づきにけり 色づきにけり(庭燎、採物「葛」)

に、深山に対する言葉として出てきます。

刀、天之尾羽張、伊都之尾羽張

刀、天之尾羽張、伊都之尾羽張は、天之尾羽張、伊都之尾羽張はそれぞれ、あめのをはばり、いつのをはばり、と読みます。本居宣長は「尾羽張」(をはばり)の「尾」は「雄」、「羽」は「刃」で、鋭く張っている刃のことを言ったものではないかとしています。のちに国譲りの段では、建御雷がこの伊都之尾羽張の子とされています。建御雷がこの刀剣から成ったことによるものと思われます。

また、日本書紀一書に、稜威雄走神(いつのをはしりのかみ)の曾孫に武甕槌神(たけみかづちのかみ)がいる、という記述がありますが、この稜威雄走神と同一の神と考えられています。「雄走」は刀剣を鍛えるときに閃光が走るさまを表します。「伊都・稜威」(いつ)は勢いの盛んなさまを意味します。