次に成った神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神、次に角杙神、次に妹活杙神、次に意富斗能地神、次に妹大斗乃辨神、次に淤母陀琉神、次に妹阿夜訶志古泥神、次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神。
以上の国之常立神から、伊邪那美神までを併せて、神世七代という。【上の二柱の独神は、それぞれで一代という。次に男女で対になっている十柱の神は、それぞれ男女二神を併せて一代という。】
対偶神~生命の象徴
前段で国土の土台の発現または永遠性の象徴(クニノトコタチ)と、恵みの雨をもたらす雲に覆われた豊かな野の象徴(トヨクモノ)が出そろい、生命がはぐくまれる素地が出来上がりました。この段では、その恵まれた国土で、生命が次第に完成へと向かって行く様子が神の名によって示されていきます。ここではウヒヂニ・スヒヂニからイザナギ・イザナミまで、男神女神の五つの組、十柱の神々が次々と成っていきます。それぞれの組が象徴するものは、以下の表のとおりです:
神名 | 象徴 | 備考 | 神名 |
---|---|---|---|
ウヒヂニ・スヒヂニ | 生命の出でるところ | 泥を生命の原質・もと、とする見方もある | ウヒヂニ・スヒヂニ |
ツノグイ・イクグイ | 生命のきざし | 生命が植物の芽のように活発に泥土から立ち上がってくる様子 | ツノグイ・イクグイ |
オオトノヂ・オオトノベ | 男女・雌雄の性的機能の分化 | 「ト」は性器のこと 「ヂ」は男性、「ベ」は女性の美称 | オオトノヂ・オオトノベ |
オモダル・アヤカシコネ | 身体・精神の成熟 | 「オモダル」は身体が出来上がる、「アヤカシコ」は畏れる意味 | オモダル・アヤカシコネ |
イザナギ・イザナミ | 男女・雌雄の出会い・交わり | 「イザ」は誘(いざな)う | イザナギ・イザナミ |
宇比地邇神・須比智邇神
宇比地邇神・須比智邇神は、それぞれ、うひぢにの神・すひぢにの神、と訓みます。「ヒヂ」「ニ」ともに泥土という意味です。語頭の「ウ」と「ス」の意味は諸説あってはっきりしませんが、似た音によって対偶形が作られており、男女の対偶神であることが表されています。
角杙神・活杙神
角杙神・活杙神は、それぞれ、つのぐいの神・いくぐいの神、と訓みます。「ツノ」は角の意味で、ツノグイはつのぐむ、つまり「角のようなものが出始めている」そのきざしを表し、「イク」は活(い)くの意味で、その様子が活発であることを示します。これらのことから、この二柱の神は、「泥土の中から生命が活発に立ち現われてくる様子」を象徴するものと考えられます。
意富斗能地神・大斗乃辨神
意富斗能地神・大斗乃辨神は、それぞれ、おおとのぢの神・おおとのべの神、と訓みます。「オオ」は「大」で、「ト」は性器を意味します。後で出てくる「みとのまぐはひ」の「ト」も同じです。「ヂ」はウマシアシカビヒコヂの「ヂ」と同じで男性を、「ベ」は「メ」(女)の音に通じ、女性を意味します。
「オスともメスともつかない状態で始まった生命が、長じるにつれて次第に男と女、雄と雌に分かれ、その機能を備えていく様子」を象徴していると考えられます。
淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神
淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神は、それぞれ、おもだるの神・あやかしこねの神、と訓みます。「オモ」(面)は顔かたち・姿、「ダル」(足る)は充足する・満ち足りる、という意味で、オモダルは姿かたちが成熟して十分に整った状態を指します。また、「アヤカシコネ」は「あやにかしこし」、つまり「言い表せないくらいに畏れ多い」という意味の言葉です。「ネ」は女性を表す接尾辞、もしくは男女を問わない尊称です。
この神名は、完全なもの・満ち足りたものに対して畏怖の心を持つ、健全で人間的な精神の発現を指すものと考えられます。もっとも、そのような抽象的な解釈ではなく、単純に、「あなたの姿は満ち足りて美しい」「あら、なんて畏れ多いこと」という、男女の会話がそのまま神格化されたものとする見方もあります。
伊邪那岐神・伊邪那美神
伊邪那岐神・伊邪那美神は、それぞれ、いざなぎの神・いざなみの神、と訓みます。「イザ」は誘う(いざなう)で、お互いに誘(いざな)い合う男女を表します。「いざ」という掛け声もこの意味です。「ナ」は「の」で、「ギ」「ミ」はそれぞれ男性、女性を表します。
なお、この五つの組については、生命ではなく、国土とその上に生きる人間が整えられていく過程を象徴していると見る立場もあります。参考に掲げておきます:
- ウヒヂニ・スヒヂニ 人の住む家の土台となる土
- ツノグイ・イクグイ 境界を示す杙(くい)
- オオトノヂ・オオトノベ 人の住まう場所、住居。「ト」を性器ではなく、場所の意味に取る
- オモダル・アヤカシコネ 性的成熟(肉体的・精神的)
- イザナギ・イザナミ 男女の出会い・交わり
最初の三段階が、国土が整い、次第に人々の家や共同体が形作られていく過程を象徴していると解するのです。そしてその共同体の中で、人々は成熟し、子孫を残し伝えていく、というのです。こちらの見方の方が、より具体的で素朴な印象があります。
神話としてスケールが大きく、整備されているのは最初の解釈の方ですが、本来の伝承を語り継いだ人たちの念頭にあったのは、むしろこちらの素朴で自分たちの生活に密着した、具体的なイメージの方だったのかもしれません。
また、もしかすると、このくだりはこれら二つの過程(身体が成り立ってゆく過程と国土が成り立ってゆく過程)が重ね合わされて、渾然一体となって並行していく様子を表していると見ることもできるかもしれません。
神世七代
神世七代は、かみよななよ、と訓みます。独神であるクニノトコタチ・トヨクモノをそれぞれ一代、対偶神であるウヒヂニ・スヒヂニを一代、ツノグイ・イクグイを一代・・・と数えると、イザナギ・イザナミまでで七代になります。ここまでで天地初發の神々が三・五・七という数字でまとめられました:
象徴 | 神名 | |||
---|---|---|---|---|
高天原の主宰神 | アメノミナカヌシ | 造化三神(三) | 別天神(五) | 独神(七) |
生成力の象徴・皇室と関係が深い | タカミムスビ | |||
生成力の象徴・出雲地方と関係が深い | カミムスビ | |||
生成力の発現 | ウマシアシカビヒコヂ | |||
天の発現・永遠性 | アメノトコタチ | |||
国土の発現・永遠性 | クニノトコタチ | 神世七代(七) | ||
雲に覆われる豊かな野の象徴 | トヨクモノ | |||
生命の出でるところ・生命のもと | ウヒヂニ・スヒヂニ | 対偶神(五) | ||
生命のきざし | ツノグイ・イクグイ | |||
男女・雌雄の性的機能の分化 | オオトノヂ・オオトノベ | |||
身体・精神の成熟 | オモダル・アヤカシコネ | |||
男女・雌雄の出会い・交わり | イザナギ・イザナミ |
前に見てきたように、日本書紀の本文・一書の多くに並記されているウマシアシカビヒコヂとクニノトコタチの間に、アメノトコタチが差し挟まれている点や、そのアメノトコタチと(対になっているはずの)クニノトコタチが区別されている点などがやや特異なところですが、このように神々を配置していくことで、表のように三・五・七の数で綺麗にまとめられます。
前にも述べましたが、これら奇数は中国では古来より「陽数」として尊ばれており、それが古事記のこの部分にも反映されたものだと考えられています(なお、日本書紀の同じ部分は、神に違いはありますが、数自体はやはり陽数になっています)。
(1.1.4 対偶神(2)に続きます。)