次に成った神の名は、宇比地邇うひぢにの神、次にいも須比智邇すひぢにの神、次に角杙つのぐいの神、次に妹活杙いくぐいの神、次に意富斗能地おおとのぢの神、次に妹大斗乃辨おおとのべの神、次に淤母陀琉おもだるの神、次に妹阿夜訶志古泥あやかしこねの神、次に伊邪那岐いざなぎの神、次に妹伊邪那美いざなみの神。
 以上の国之常立神から、伊邪那美神までを併せて、神世七代かみよななよという。【上の二柱の独神は、それぞれで一代ひとよという。次に男女で対になっている十柱の神は、それぞれ男女二神を併せて一代という。】 

クリックで訓読文

次に成りませる神の名は、宇比地邇うひぢにの神、次にいも須比智邇すひぢにの神。二柱。 次に角杙つのぐひの神、次に妹活杙いくぐひの神、次に意富斗能地おほとのぢの神、次に妹大斗乃辨おほとのべの神、次に淤母陀琉おもだるの神、次に妹阿夜訶志古泥あやかしこねの神、次に伊邪那岐いざなぎの神、次に妹伊邪那美いざなみの神。
 かみくだりの国之常立神より以下しも、伊邪那美神以前まであはせて神世七代かみよななよまをす。【上の二柱は、独神各一代ひとよまをす。次にならびます十柱とばしらは、各二神ふたばしらを合はせて一代と云す。】 

クリックで原漢文

次成神名、宇比地邇神、次妹須比智邇神。【此二神名以音。】 次角杙神、次妹活杙神。二柱 次意富斗能地神、次妹大斗乃辨神。【此二神名亦以音。】 次淤母陀琉神、次妹阿夜上訶志古泥神。【此二神名皆以音。】 次伊邪那岐神、次妹伊邪那美神。【此二神名亦以音如上。】
 上件自國之常立神以下、伊邪那美神以前、幷稱神世七代。【上二柱、獨神各云一代。次雙十柱、各合二神云一代也。】

この「上」「去」の字は、「上声」「去声」の略です。漢字の発音(声調)についての注です。凡例も参照してください。

クリックで言葉

《言葉》

  • 【妹】いも 男女が併称されるときに、女性の方に付ける
  • 【宇比地邇神】うひぢにの神 「ひぢ」「に」はともに泥土のこと
  • 【須比智邇神】すひぢにの神 上に同じ
  • 【角杙神】つのぐいの神 「つのぐむ」(角のように大地から何かが出てくる)から。境界を示す杙(くい)とも
  • 【活杙神】いくぐいの神 いく(活く)は活発である、の意
  • 【意富斗能地神】おおとのぢの神 「ト」は性器、または住居。「ヂ」は男性を表す
  • 【大斗乃辨神】おおとのべの神 「ベ」は「メ」(女)に通じ、女性を表す
  • 【淤母陀琉神】おもだるの神 「オモ」は姿かたち、「ダル」(足る)は満ち足りる、十分に備わる、の意
  • 【阿夜訶志古泥神】あやかしこねの神 「アヤカシコ」は畏れ多い、「ネ」は女性を表す
  • 【伊邪那岐神】いざなぎの神 「イザ」は誘(いざな)う、から 「ギ」は男性を表す
  • 【伊邪那美神】いざなみの神 「ミ」は女性を表す
  • 【神世七代】かみよななよ クニノトコタチ・トヨクモノをそれぞれ一代、続く五組の対偶神たちを一組で一代と数えると、七代になる
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対偶神~生命の象徴

前段で国土の土台の発現または永遠性の象徴(クニノトコタチ)と、恵みの雨をもたらす雲に覆われた豊かな野の象徴(トヨクモノ)が出そろい、生命がはぐくまれる素地が出来上がりました。この段では、その恵まれた国土で、生命が次第に完成へと向かって行く様子神の名によって示されていきます。ここではウヒヂニ・スヒヂニからイザナギ・イザナミまで、男神女神の五つの組、十柱の神々が次々と成っていきます。それぞれの組が象徴するものは、以下の表のとおりです:

神名 象徴 備考 神名
ウヒヂニ・スヒヂニ 生命の出でるところ 泥を生命の原質・もと、とする見方もある ウヒヂニ・スヒヂニ
ツノグイ・イクグイ 生命のきざし 生命が植物の芽のように活発に泥土から立ち上がってくる様子 ツノグイ・イクグイ
オオトノヂ・オオトノベ 男女・雌雄の性的機能の分化 「ト」は性器のこと 「ヂ」は男性、「ベ」は女性の美称 オオトノヂ・オオトノベ
オモダル・アヤカシコネ 身体・精神の成熟 「オモダル」は身体が出来上がる、「アヤカシコ」は畏れる意味 オモダル・アヤカシコネ
イザナギ・イザナミ 男女・雌雄の出会い・交わり 「イザ」は誘(いざな)う イザナギ・イザナミ

宇比地邇神・須比智邇神

宇比地邇神・須比智邇神は、それぞれ、うひぢにの神・すひぢにの神、と訓みます。「ヒヂ」「ニ」ともに泥土という意味です。語頭の「ウ」と「ス」の意味は諸説あってはっきりしませんが、似た音によって対偶形が作られており、男女の対偶神であることが表されています。

角杙神・活杙神

角杙神・活杙神は、それぞれ、つのぐいの神・いくぐいの神、と訓みます。「ツノ」は角の意味で、ツノグイはつのぐむ、つまり「角のようなものが出始めている」そのきざしを表し、「イク」は活(い)くの意味で、その様子が活発であることを示します。これらのことから、この二柱の神は、「泥土の中から生命が活発に立ち現われてくる様子」を象徴するものと考えられます。

意富斗能地神・大斗乃辨神

意富斗能地神・大斗乃辨神は、それぞれ、おおとのぢの神・おおとのべの神、と訓みます。「オオ」は「大」で、「ト」は性器を意味します。後で出てくる「みとのまぐはひ」の「ト」も同じです。「ヂ」はウマシアシカビヒコヂの「ヂ」と同じで男性を、「ベ」は「メ」(女)の音に通じ、女性を意味します。

「オスともメスともつかない状態で始まった生命が、長じるにつれて次第に男と女、雄と雌に分かれ、その機能を備えていく様子」を象徴していると考えられます。

淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神

淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神は、それぞれ、おもだるの神・あやかしこねの神、と訓みます。「オモ」(面)は顔かたち・姿、「ダル」(足る)は充足する・満ち足りる、という意味で、オモダルは姿かたちが成熟して十分に整った状態を指します。また、「アヤカシコネ」は「あやにかしこし」、つまり「言い表せないくらいに畏れ多い」という意味の言葉です。「ネ」は女性を表す接尾辞、もしくは男女を問わない尊称です。

この神名は、完全なもの・満ち足りたものに対して畏怖の心を持つ、健全で人間的な精神の発現を指すものと考えられます。もっとも、そのような抽象的な解釈ではなく、単純に、「あなたの姿は満ち足りて美しい」「あら、なんて畏れ多いこと」という、男女の会話がそのまま神格化されたものとする見方もあります。

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伊邪那岐神・伊邪那美神

伊邪那岐神・伊邪那美神は、それぞれ、いざなぎの神・いざなみの神、と訓みます。「イザ」は誘う(いざなう)で、お互いに誘(いざな)い合う男女を表します。「いざ」という掛け声もこの意味です。「ナ」は「の」で、「ギ」「ミ」はそれぞれ男性、女性を表します。

なお、この五つの組については、生命ではなく、国土とその上に生きる人間が整えられていく過程を象徴していると見る立場もあります。参考に掲げておきます:

  • ウヒヂニ・スヒヂニ 人の住む家の土台となる土
  • ツノグイ・イクグイ 境界を示す杙(くい)
  • オオトノヂ・オオトノベ 人の住まう場所、住居。「ト」を性器ではなく、場所の意味に取る
  • オモダル・アヤカシコネ 性的成熟(肉体的・精神的)
  • イザナギ・イザナミ 男女の出会い・交わり

最初の三段階が、国土が整い、次第に人々の家や共同体が形作られていく過程を象徴していると解するのです。そしてその共同体の中で、人々は成熟し、子孫を残し伝えていく、というのです。こちらの見方の方が、より具体的で素朴な印象があります。

神話としてスケールが大きく、整備されているのは最初の解釈の方ですが、本来の伝承を語り継いだ人たちの念頭にあったのは、むしろこちらの素朴で自分たちの生活に密着した、具体的なイメージの方だったのかもしれません。

また、もしかすると、このくだりはこれら二つの過程(身体が成り立ってゆく過程と国土が成り立ってゆく過程)が重ね合わされて、渾然一体となって並行していく様子を表していると見ることもできるかもしれません。

神世七代

神世七代は、かみよななよ、と訓みます。独神であるクニノトコタチ・トヨクモノをそれぞれ一代、対偶神であるウヒヂニ・スヒヂニを一代、ツノグイ・イクグイを一代・・・と数えると、イザナギ・イザナミまでで七代になります。ここまでで天地初發の神々が三・五・七という数字でまとめられました:

象徴 神名
高天原の主宰神 アメノミナカヌシ 造化三神(三) 別天神(五) 独神(七)
生成力の象徴・皇室と関係が深い タカミムスビ
生成力の象徴・出雲地方と関係が深い カミムスビ
生成力の発現 ウマシアシカビヒコヂ
天の発現・永遠性 アメノトコタチ
国土の発現・永遠性 クニノトコタチ 神世七代(七)
雲に覆われる豊かな野の象徴 トヨクモノ
生命の出でるところ・生命のもと ウヒヂニ・スヒヂニ 対偶神(五)
生命のきざし ツノグイ・イクグイ
男女・雌雄の性的機能の分化 オオトノヂ・オオトノベ
身体・精神の成熟 オモダル・アヤカシコネ
男女・雌雄の出会い・交わり イザナギ・イザナミ

前に見てきたように、日本書紀の本文・一書の多くに並記されているウマシアシカビヒコヂとクニノトコタチの間に、アメノトコタチが差し挟まれている点や、そのアメノトコタチと(対になっているはずの)クニノトコタチが区別されている点などがやや特異なところですが、このように神々を配置していくことで、表のように三・五・七の数で綺麗にまとめられます。

前にも述べましたが、これら奇数は中国では古来より「陽数」として尊ばれており、それが古事記のこの部分にも反映されたものだと考えられています(なお、日本書紀の同じ部分は、神に違いはありますが、数自体はやはり陽数になっています)。

1.1.4 対偶神(2)に続きます。)