そこで速須佐之男命はやすさのおのみこと天照大御神あまてらすおおみかみに、「私の心は清く明るいから、私の生んだ子は女子だった。これによって言えば、当然私の勝ちだ」と言って、勝ちに乗じて天照大御神の耕作する田の畔(あぜ)を壊し、灌漑用の溝を埋め、また大御神が新嘗の新穀を食べる御殿に糞をしてまき散らした。
 しかし、それでも天照大御神はそれをとがめだてせずに、「糞のようなものは、酔ってへどを吐き散らそうとして、我が弟の命はそうしたのでしょう。また、田の畔を壊して灌漑用の溝を埋めたのは、土地がもったいないと思って、我が弟の命はそうしたのでしょう」と善い方に言い直したものの、なおその悪い行いは止まず、ますますひどくなった。
 天照大御神が、神聖な機屋はたやにいて、神に献上する御衣を機織り女たちに織らせていたときに、速須佐之男命がその機屋の棟に穴をあけて、ぶち入りの馬を逆剥ぎにして落とし入れたところ、機織り女はこれを見て驚き、で女陰を突いて死んでしまった。そして、天照大御神はそれを見て恐れて、天の石屋いわやの戸を閉じて中にこもった。

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スサノオの心の正邪を決める「うけひ」の結果は、アマテラスの子が五男神で、スサノオの子が三女神というものでした。するとスサノオは、自分の心は清明であるから女子を生んだ、だから私の勝ちだ、と一方的に主張し、勝ちに乗じて数々の狼藉を働きます。その様子を見て恐れたアマテラスは、ついに天の石屋戸にこもってしまいます。

手弱女

手弱女は、たわやめ、と読みます。なよなよとした女、という意味です。対する言葉は丈夫(ますらを)です。

「たわ」は「しなう」という意味の「撓む」(たわむ)から来ていて、「や」は接尾辞、「手弱」は当て字です。

なお、現在では「たおやめ」と言い、倭名抄にも「手弱女人 太乎夜米(たをやめ)」とありますが、これは後世に変化したもので、もともとは「たわやめ」です。

景行記の美夜受比売(みやずひめ)の歌に、

弱細(ひはぼそ) 手弱腕(たわやがひな)を 枕(ま)かむと

万葉集では、大伴坂上郎女の神を祭る歌、

手弱女の おすひ取り懸け かくだにも われは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも(三・三七九)

笠朝臣金村が娘子に誂えて作った(代作した)歌、

手弱女の わが身にしあれば 道守の 問はむ答を 言い遣らむ 術を知らにと 立ちて爪づく(四・五四三)

大伴の坂上家の大嬢が大伴宿禰家持に報(こた)え贈った歌、

大夫(ますらを)も かく恋ひけるを 手弱女の 恋ふる情(こころ)に 比(たぐ)ひあらめやも(四・五八二)

などの例が見られます。上の例に見えるように、歌においては、男性が女性を手弱女と表現することは少なく、多くは女性が(自分がか弱い女性であることを強調しながら)自身を指すのに用いられています。

自我勝

自我勝は、スサノオは、「自分の心は清明であるから女子を生んだ、したがって当然私の勝ちだ」と一方的に主張します。

子の帰属を決めるアマテラスの詔り別けの段にも述べましたが、書紀においては、本文も一書も、すべて「男を生む=スサノオの清明心=スサノオの勝ち」とルールを決めてからうけいを行い、スサノオは男神を生み、ルールに基づいて勝ちであると決まります。

一方、古事記においては、勝敗の前提が述べられないままうけいが始まり、アマテラスが五男神三女神の帰属を決めると、スサノオは上のように一方的に勝ちを主張して、そのまま勝ちさびに狼藉の限りを尽くします。

このことについて、宣長は「手弱女」という表現に着目し、

凡て益荒男(ますらを)手弱女とは、ただ何となく男女をいふ称(な)には非ず・・・強きこと弱きことを云ふときの称なり。

としたうえで、

女子を得給ふを以て、御心の清明験(しるし)とする故は・・・手弱女の男に従て下に在るが如くなるべき理なればなり、故れ今女子を得給ふは其理に叶ひて、天照大御神に服(まつろ)ひ給ひて、仇敵御心なく、高天原を奪はむの御心なき験となれるなり、故れ此所は唯女子と云はずして、手弱女としも云るも、其意ぞかし。

と解釈しています。つまり、「手弱女=敵対心なく服属する=清明心」という含意だ、ということのようです。

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勝佐備

勝佐備は、勝ちさびの「さび」は動詞「さぶ」を連用形にして名詞化したものです。

「さぶ」には大きく二つ意味があって、一つは体言の後に付いて「〜のようだ、のようになる、〜らしく振る舞う」の意で、「勝ちさぶ」は「勝ちらしく振る舞う・勝ちのように振る舞う」という意味になります。他に「繁(しみ)さぶ」「山さぶ」「神(かむ)さぶ」「翁さぶ」「をとめさぶ」「うま人さぶ」などの用例があります。

もう一つは、「荒(さ)ぶ」です。これは「ある状態から荒れていく」というのが原義で、そこから「心が荒れる」(→さぶし(淋)が派生)、「光や色が褪せる」、「金属が錆びる」、さらに派生して「古くなって趣が出る」(わびさびの「さび」)などの意味を持つようになりました。万葉集の、

ささなみの 国つ御神の 心(うら)さびて 荒れたる京(みやこ) 見れば悲しも(一・三三)

は、国つ神の心がすさんだために荒れ果ててしまった近江の旧都をいたむ歌です。他に、

まそ鏡 見飽かぬ君に 後(おく)れてや 朝夕(あしたゆふべ)に さびつつ居らむ(四・五七二)

は沙彌滿誓(さみまんせい)が、大伴旅人が大宰府から京(みやこ)へ去ってしまってさびしい、と歌ったものです。

また、「さぶ」は「すさぶ」とも言い、「す」は接頭辞になります。スサノオの名が「すさぶ神」であることを表す名であることは、イザナギが三貴子を生んだ段でも触れました。

また、この「さぶ」から派生した語に「さぶし」(淋し)があり、

家に行きて 如何にか吾がせむ 枕づく 妻屋さぶしく 思ほゆべしも(五・七九五)、

愛しと 思ふ吾妹(わぎも)を 夢に見て 起きて探るに 無きがさぶしさ(十二・二九一四)

など、万葉集に多くの用例があります。

営田

営田は、つくだ、と読みます。上の訓読文では記伝に従い、「み」(御)を付けました。倭名抄にある「佃 豆久太(つくだ)」のことで、「作田」(つくりだ)の転じたものです。「耕作する田」という意味です。山幸彦・海幸彦の段に「下田を営(つく)る」「高田を営る」という表現が出てきます。

ただし、ここでは天照大御神が自ら耕した田という意味ではなく、律令制下の公営田(くえいでん)の意味と同じく、「経営する田」といった意味になります。

は、営田の「あ」とは「畔」(あ)で、田と田の境のことです。倭名抄に「畔 田界也 和名久呂(くろ) 一云阿世(あぜ)」とありますが、古くは「あ」と言いました。

「あを離つ」とは、畔を壊して田の水を干上がらせることを言い、大祓祝詞では天つ罪の一つに数えられています。書紀本文には「毀其畔 毀、此れを波那豆(はなつ)と云ふ」とあります。

は、倭名抄に「溝 釋名云田間之水曰溝 和名三曾(みぞ)」(田の間の水を溝という。和名ミゾ)、その隣に「渠 同上」とあり、さらに「 田中渠也 和名太三曾(たみぞ)」とあります。

「溝を埋める」とは、田に水を引くための灌漑用の溝を埋めることを言います。この「ミゾウメ」も「アハナチ」と同じく、天つ罪の一つとされています。

1.6.1 須佐之男命の勝さび(2)に続きます。)