黄泉の国から逃げ帰って、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原にたどり着いたイザナギが、禊ぎをするために身に着けていたものを次々と脱ぎ棄てた後、水に潜って禊ぎを始めます。

上の瀬は流れが速すぎ、下の瀬は流れが弱すぎたため、中の瀬に降りて潜ることにしました。ここでも着衣を脱ぎ捨てた時と同様、次々と神が成っていきます。

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イザナギが禊ぎで水に潜って身体を濯ぐ段・本文

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上瀬、中瀬、下瀬

上瀬、中瀬、下瀬は、イザナギのいる場所は「橘の小門」と呼ばれるところでした。「小門」(をど)は「小さな水門(みなと)」であるとも、「瀬戸」(川幅の狭い場所、または狭い海峡)であるとも言われます。その辺りの瀬について言っています。「瀬」は川などの流れの速いところ、もしくは浅いところを言います。

イザナギは上瀬は瀬の流れが速く、下瀬は流れが弱いとして、中瀬を選びました。このように、上中下の三つのうちの中を尊んで選ぶという表現は古代歌謡にしばしば見られ、応神記の

端土(はつに)は 膚(はだ)赤らけみ  底土(しはに)は に黒きゆゑ 三栗の その中つ土(に)を 頭衝(かぶつ)く 真火(まひ)には当てず

上枝(ほつえ)は 鳥居枯らし  下枝は 人取り枯らし 三栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら嬢子(をとめ)を

などがあります。

降迦豆伎而

降迦豆伎而は、降りかづきて、と訓読します。底本では「迦豆伎而」となっていますが、宣長自身の注釈に「隨の字は降の誤りなるべし」とあるのに従いました。

なお、真福寺本などには「堕」とあって「堕(お)ちかづきて」と訓読されますが、宣長はこれを不可としています。記注釈もこの表現は成り立たないとして否定していますが、全集記では「いきなりどぼんと飛び込んだ」という意味に取り、「堕」を採用しています。

「かづく」は「潜く」です。額をつけて拝むことを「ぬかづく」(額+突く)と言うように、頭を水に突っ込むことから「かづく」(頭+突く)と言うようです。記紀歌謡に、

いざ吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の湖に 潜きせなわ(仲哀記)

淡海の海 瀬田の済(わたり)に 潜く鳥 目にし見えねば 憤しも(神功紀)

万葉集に、

大船に 楫(かぢ)しもあらなむ 君無しに 潜(かづき)せめやも 波立たずとも(七・一二五四)

など、多くの用例があります。

は、すすく、と訓みます。底本では「そそぐ」と訓読されていますが、古くは、濯・漱・滌は「すすく」(水で洗い清める)、注・灌・灑が「そそく」(水を振りかける、流しかける)で、明確な区別がありました。「すすく」が「そそく」「そそぐ」とも訓まれるようになるのは、後になってからです。

八十禍津日神、大禍津日神

八十禍津日神、大禍津日神は、それぞれ、やそまがつひの神、おほまがつひの神、と読みます。「禍」というのは凶事、悪事などの災禍のことです。「八十」「大」はその数の多さや規模の大きさを言ったもので、それがそのままこれらの神の力の大きさを表す言葉にもなっています。「つ」は「の」、「ひ」は神霊(ムスヒの「ヒ」)の意です。

「禍」(まが)に対する言葉は「直」(なほ)です。「曲がっている」と「まっすぐである」の対照です。つつがない状態が「まっすぐ」で、異変が起きて「まがった」状態を「まが」と表現するわけです。

日本書紀の一書(第六)には「八十枉津日神」(やそまがつひの神)の名のみ見えます。ここで禊ぎの最初にこれらの神が成ったのは、「マガゴトのうち死の穢れが一番重大とされていたから」(記注釈)と考えられます。宣長は「世間にあらゆる凶悪事・邪曲事などは、みな元は此の禍津日の神の御霊より起るなり」としています。

なお、所成坐神(なりませる神)と、ここだけ敬語の「坐」がついており、以下の神々はすべて「所成神」です。これについては、この二神に対する特別な意識が働いている(全集記)、他の神々の部分は単なる省略と見てすべて「成りませる」と訓む(古事記伝)、この神の部分にだけ紛れ込んだ(記注釈)、などの説があります。

穢繁国

穢繁国は、宣長はきたなきしきぐに、と訓んでいますが、他に「穢れ繁(しげ)き国」「穢らはしき国」「穢(しけ)しき国」など様々な訓みがなされています。「繁」をどう取るかによります。宣長はこれを「しき」の借り字と見ます。「しき」は「しこ」(醜)の意で、「穢なき醜国」と取ります。「穢らはしき国」「穢(しけ)しき国」も「繁」を「しき」の借り字と見ますが、形容詞の連体形(美しきの「しき」)と見ます。なお、「穢(しけ)し」は「しこ」の形容詞です。

汚垢

汚垢は、けがれと訓みます。黄泉の国で身体に付いた「けがれ」から二柱の「まが」の神が成りました。上述のように、死の「けがれ」はすなわち最大の「まが」でした。身体の「けがれ」は水で洗い流せるもので、従って「まが」も、禊ぎによって清めることができると考えられていました。

神直毘神、大直毘神

神直毘神、大直毘神は、それぞれ、かむなほびの神、おほなほびの神、と読みます。二柱の禍津日神が現れた後に、その「禍を直さむと為て」成った神です。「マガった」状態を「ナホす」神です。延喜式祝詞に、

言壽(ことほ)き鎮めまつる事の漏れ落ちむ事をば、神直日命・大直毘命、聞き直し見直して、平らけく安らけく知ろしめせと白(まを)す。(大殿祭)

天のまがつひと云ふ神の言はむ悪事(まがこと)に相まじこり、相口会へたまふ事なく・・・咎過在らむをば、神直びに、大直びに見直し聞き直し坐して、平らけく安らけく仕へまつらしめ賜ふ。(御門祭)

とあることからも、「禍津日神が悪事(まがこと)を言うことでそれが生じ、直毘神がそれを見聞きした上でこれを直し、平安な状態に戻す」とされていたことが分かります。

他には、この「直び」は、祭りの際の物忌み・斎戒の状態を解いて平常に戻すという意味にも用いられています。つまり「直会(なおらい)」とほぼ同じような意味です。古今和歌集の大歌所御歌のおほなほびの歌に、

あたらしき 年の始に かくしこそ 千歳をかねて 楽しきをつめ(一〇六九)

また、神楽歌の韓歌に、

皆人の 幣(しで)は栄ゆる 大直み いざ我がともに 神の坂まで

がありますが、これは「採物が一段落して、前張に移る境で、酒が出され、隠し芸などを発揮してもよい余興的な場面」(大系本古代歌謡集)で歌われました。いずれの歌にも神事の斎戒の緊張状態がほぐれ、日常に戻ることに対する心の浮き立った様子がうかがえます。

伊豆能売神

伊豆能売神は、いつのめの神、と読みます。「厳の女」であろうと考えられます。「厳」は「神聖な、清浄な」で、「いつのめ」は「神聖な巫女」といった意味になるかと思われますが、未詳です。直毘神と同じく、悪事(まがこと)を「直す」ことに関係する神であると考えられます。

底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神

底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神は、それぞれ、そこつわたつみの神、なかつわたつみの神、うはつわたつみの神、と読みます。それぞれ水の底・中ほど・表面で禊ぎをしたときに成った神です。大綿津見神が、島生みに続く段ですでに成っています。

なお、上津綿津見神の訓注に、「訓上云宇閇」(上を訓みてウヘと云ふ)とありますが、これは「カミ」とは訓まない、という意味です。上何々、というときは「うへ」は「うは」となります。

底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命

底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命はそれぞれ、そこつつのをの命、なかつつのをの命、うはつつのをの命、と読みます。上述の三柱の海神に続けて成った神々です。「筒」の意味は不詳ですが、いくつかの説があります。「星」(つつ)の意味に取り、これら三神はオリオン座のベルトに当たる三つ星のことだとする説、「つ」(の)+「津」(港、船着き場)の意味であるとする説、「つち=つ(の)+ち(男性)」とする説、などです。なお、「星」説は、この三神が航海の神とされ、古来より航海においては星が海路を導く重要な役割を果たしたことによります。