ヨモツシコメやヨモツイクサから逃げるイザナギは、黄泉比良坂で桃の実3つを取り、迎え撃ちます。イザナギは桃の実に向かって、自分を助けたように、葦原中国の人々が苦しんでいる時に彼らを助けるように言い、オオカムヅミの名を与えます。

桃には古来から魔除けの呪力があるとされており、それがこのくだりに反映されています。

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イザナギが黄泉比良坂で桃の実を使う段・本文

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(前の記事の続きです。前記事は1.4.2 逃走(1)です。)

黄泉比良坂

黄泉比良坂は、よもつひらさか、と読みます。「ひら」は「平」という意味ではなく、「崖」の意味になります。現代でも、各地に方言・地名として残っています。「さか」は「境」で、「黄泉比良坂」とは、「黄泉の国と現世とを隔てる崖のような境界」という意味になります。一度転がり落ちたら二度と戻れないくらいの、崖のように急な坂だったということでしょうか。

坂本

坂本は、坂のふもと、という意味です。イザナミの御殿から逃げ出したイザナギは、黄泉の国のどこかにある、葦原中国に通じる黄泉比良坂のふもとにたどり着き、さらにその坂を登って葦原中国に帰っていく、という展開です。

黄泉国の項でも触れましたが、イザナミは出雲国と伯伎国の間の比婆の山に葬られた後は、黄泉の国の御殿にいました。黄泉の国がどのようなもので、どこにあるのか、については古事記はいっさい触れていません。

しかし、葦原中国と黄泉比良坂を通じて繋がっていることは分かります。ここでは黄泉の国は地下世界で、黄泉の国側の坂のふもとから、坂を登って地上世界である葦原中国に戻る、として話を進めています。

一方、黄泉の国と葦原中国は同じ地上世界で、黄泉の国から峠を越えて坂を下っていき、その坂のふもとが葦原中国だった、とする解釈も可能です(全集記)。この「坂本」がどこに属すると取るかで解釈も違ってきます。

桃子は、もものみ、と訓みます。桃は中国では古来から邪気を退ける呪力を持つとされてきました。「論衡」訂鬼に、

山海経又曰、滄海之中、有度朔之山、上有大桃木、其屈蟠三千里、其枝間東北、曰鬼門、萬鬼所出入也、上有二神人、一曰神荼、一曰鬱壘、主閲領萬鬼、惡害之鬼、執以葦索、而以食虎、於是黄帝乃作禮、以時驅之、立大桃人、門戸畫神荼鬱壘與虎、懸葦索以禦凶魅。
(山海経によると、大海原の中に度朔山があり、その上に大きな桃の木があり、三千里にわたって曲がりくねっている。その東北の枝の間を鬼門といい、あらゆる鬼の出入りするところだ。そこには神荼と鬱壘という二神がいて、彼らを取り締まっており、害悪をなす鬼は、これを葦の縄で捕えて虎に食わせた。そこで、黄帝は礼の規則を作った。桃の木で作った大きな人形を立て、門や戸に神荼・鬱壘と虎の絵を描き、葦の縄を懸けて悪鬼を防ぐことにしたのだ)

とあります。「荊楚歳時記」正月にも、「桃板著戸 謂之仙木」「桃者五行之精、厭伏邪気、制百鬼也」「挿桃符其傍、百鬼畏之」などとあり、その由来として上の伝承を引用しています。

この桃の呪力についての観念や習俗は古くから日本にも伝わり、追儺(ついな)という鬼払いの宮中行事において桃の木で作った弓や杖が用いられたり、桃の節句では邪気払いや長寿を願って桃酒を飲んだり、などの風習がよく知られています。日本書紀の一書にも、

是の時に、雷等皆起ちて追い来る。時に、道の邊に大きなる桃の樹有り。故、伊弉諾尊、其の樹の下に隠れて、因りて其の実を採りて、雷に擲げしかば、雷等、皆退走きぬ。此桃を用て鬼を避く縁なり。(神代紀・第五段・一書第九)
(この時に、雷神たちが立ち上がり、追いかけてきた。時に、道端に大きな桃の木があった。そこで、イザナギ尊は、その木の陰に隠れて、その実を採って雷神に投げつけると、雷神たちはみな逃げ去った。これが桃で鬼を払うことの由来である

とあり、記紀神話が成立した頃には、この観念は日本人の間にも定着していたことが分かります。

葦原中国

葦原中国は、あしはらのなかつくに、と訓みます。高天原・黄泉の国に対する、人間その他の生き物の住む現実の世界のことです。「葦原」については、「葦牙」の項で述べたように、古代の日本列島は川辺や湖畔や低湿地帯が一面葦で覆われており、またその成長の勢いの盛んなことから、古代人にとっては、葦はみなぎる生命力そのものでした。現実の生きとし生けるものたちが住む、生命にあふれるこの現実世界に、その生命力を託した「葦原」の名を冠することは、彼らにとっては自然なことだったのでしょう。

中つ国は、直訳すると「中の国」ですが、問題になるのは「中」の意味です。さまざまな解釈がありますが、本居宣長は、

葦原中國とは、もと天つ神代に、高天原よりいへる號(な)にして、此御國ながらいへる號にあらず、さて此號の意は、いといと上つ代には、四方の海べたはことごとく葦原にて、其中に國處は在りて、上方より見下ろせば、葦原のめぐれる中に見えける故に、高天原よりかくは名づけたるなり。(國號考)

と述べています。つまり、天つ神が高天原から地上世界を見下ろしたときに、四方が葦原に囲まれていて、国はその中にある、そのように見えたからそう名付けられた、ということです。

ここで大事な指摘があって、それはこの文中の「高天原よりいへる號(な)にして、此御國ながらいへる號にあらず」というところです。あくまで高天原との対比においてのみありえた表現だったということです。

西郷信綱氏はこの観点に基づきながらも、「葦原のめぐれる中に見えける故」に「葦原中国」という、とする宣長の説は採りませんでした。そして、人が住む地域を中心の聖所とすると、その周辺に葦の生い茂る地帯があり、さらにその外側に死者たちの住む外側の地帯(海、原始林地帯)がある、古代人は自分たちの暮らす世界にそのような観念を持っており、その関係が神話に反映されたものが「高天原〜葦原中国〜黄泉の国」の(垂直的)三層構造である、としました(古事記の世界)。

この世界観に基づくと現実世界での葦の茂る周辺地帯は中間地帯であり、その意味で神話において対応する世界に「中つ国」という名が冠せられた、とします。つまり、

「中心」 「辺境」 「外界」
現実世界 人の住む地域
(中心の聖所)
葦の生い茂る周辺地帯
(死に隣接する不気味な中間地帯)
海、原始林地帯
(死者の世界)
神話世界 高天原 葦原中国 黄泉の国

ということです。この考え方では世界の中心はあくまで高天原であって、葦原中国はその辺境とみなされています。

ここで古代人にとって葦の生い茂る周辺地帯が「不気味な」領域とされていたことは、記紀における葦原中国の描写「いたくさやぎてありなり」「ちはやぶる荒ぶる国つ神どもの多(さは)在り」「いなかぶし醜めき国」などの表現、「葦原」という言葉がしばしば醜や穢といった状態と結び付けて用いられていたこと(神武記の御歌「葦原のしけしき小屋」)、などからうかがえます。

一方、葦原中国の「中国」には、高天原・黄泉の国・根堅洲国・常世国といった他の世界とのかかわりの中で成り立つ、その中央にある世界、という意味があるとする見方もあります(全集記)。

宇都志伎、青人草

宇都志伎、青人草は、それぞれ、うつしき、あをひとくさ、と読みます。紀一書(第十一)に「顯見蒼生、此をば宇都志枳阿烏比等久佐(うつしきあをひとくさ)と云ふ」とあります。「うつし」(顕し)は、現実の、この世に生きて存在する、という意味です。「青人草」は漢語の「蒼生」の訳語と考えられます。「蒼生」とは、多くの人々・人民を、青々と繁茂する草木に喩えて呼んだ言葉です。さらに「うつしき」と形容することで、彼らが黄泉の国ではなく、現実の生者の世界の住人であることが強調されています。

落苦瀬

落苦瀬は、「苦(う)き瀬に落ちて」と訓読します。「苦(くる)しき瀬に落ちて」とも言えます。「瀬」は川の浅く、流れが急な箇所を言います。転じて特定の場所や機会のことを指すようになりました。逢瀬、年の瀬などです。「苦しき瀬に落ちて」とは、突破口の見えない困難に陥って苦しんでいる状態を表しています。

ところで、年の瀬については、「瀬」の流れの速さに着目し、年末の支払いなどで年を越すのが大変なことを喩えたものとも、「瀬」が浅くて歩いて渡れる所であることに着目し、一年の最後の拠り所という意味であるとも言われています。

意富加牟豆美命

意富加牟豆美命は、おほかむづみの命、と読みます。イザナギが、自分の追手を撃退してくれた桃の実に、「自分を助けたように現世に生きる人間たちも助けよ」と命じ、この名前を授けました。桃が邪気を払う呪力を持つことの由来が、ここに語られています。名義については、「おほ」(大)+「かむ」(神)+「つ」(の)+「み」(神霊)と解釈できますが、未詳です。宣長は「大神つ実」と解釈していますが、「実」(乙類)と「美」(甲類)は上代では違う音を表す仮名であると考えられており、問題が残ります。甲類乙類の仮名についてはこちら