次に成った神の名は、国之常立くにのとこたちの神、次に豊雲野とよくものの神。この二柱の神もまた独神として成り、すぐに姿を隠した。

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別天神とクニノトコタチ・トヨクモノ

前段から引き続き、次に、次に、と神々が「成って」いきます。ここで少しおさらいもかねて、これまでに成った神々の名前を列記してみましょう:

  • アメノミナカヌシ
  • タカミムスビ
  • カミムスビ
  • ウマシアシカビヒコヂ
  • アメノトコタチ

(ここまでの五柱が別天神)

  • クニノトコタチ
  • トヨクモノ

アメノトコタチとクニノトコタチは、名前からして対になる二柱のはずですが、片方だけが別天神に数えられています。先ほども述べましたが、クニノトコタチの方は、日本書紀の本文と、六つあるすべての一書(あるふみ、異伝のこと)に出てきて、しかもいずれも最初か二番目の神として登場してきます。

一方のアメノトコタチは、アメノミナカヌシとともに、古事記ではこの初めの部分に名前だけ出てきて、その後は一切触れられません。また、日本書紀においても、一書に一度名前が出てくるだけです。

タカミムスビとカミムスビも、日本書紀においては一書(第四)に、高天原に生まれる、とあるだけで、天地の混沌や虚空の中から、または幼い国土から成ったとする伝承はありません。

古事記・日本書紀における別天神の位置づけ

ここで、別天つ神の位置づけについて考えてみたいと思います。まず、別天つ神が日本書紀でどのように言及されているのか見てみましょう。古事記の造化三神(アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビをこう呼びます)以降の神々と、日本書紀第一段本文・一書の最初の神は以下の表のようになります(表現や神名は古事記に合わせて適宜変更しています):

注1:紀本文・一書は最初の神のみ掲載 注2:第一~第六は一書のこと
出典 いつ、
どこで
何から 成った神 出典
国土が幼く、クラゲのように漂っている時 葦牙のように萌え出た物 ウマシアシカビヒコヂ、次にアメノトコタチ、次にクニノトコタチ、次にトヨクモノ、次に神世七代
紀本文 天地の中 葦牙のような一物 クニノトコタチ 紀本文
第一 天地の虚空の中 状貌言い難い一物 クニノトコタチ 第一
第二 浮き脂のような幼い国土 葦牙のような物 ウマシアシカビヒコヂ、次にクニノトコタチ 第二
第三 天地が混沌としている時 言及なし ウマシアシカビヒコヂ、次にクニノトコタチ 第三
第四 天地が初めて分かれる時 言及なし クニノトコタチ 第四
高天原 言及なし アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビ
第五 天地が海上の浮雲のように漂っている時 泥の中に初めて出た葦牙のような物 クニノトコタチ 第五
第六 天地が初めて分かれる時 葦牙のような物 アメノトコタチ、次にウマシアシカビヒコヂ 第六
浮き脂のような物 クニノトコタチ

この表を見ると、クニノトコタチの登場するパターンは

  • 葦牙→クニノトコタチ(本文、第五)
  • 葦牙→ウマシアシカビヒコヂ→クニノトコタチ(古事記、第二)
  • ウマシアシカビヒコヂ→クニノトコタチ(第三)
  • いきなりクニノトコタチ(第四)
  • 状貌言い難い一物→クニノトコタチ(第一)
  • 浮き脂→クニノトコタチ(第六)

があります。「アシカビ→クニノトコタチ」のパターン(a、b、c)が八つの記事のうち五つを占めていて、それ以外が一つずつです。このことから、元々の伝承は

天地の混沌・虚空、または幼い国土から葦牙のようなものが出てきて、そこからクニノトコタチが成った。

という形だったのではないかと推測できます。そして、ウマシアシカビヒコヂは元々は「葦牙のようなもの」という「きざし」として語られていたくだりが、のちに人格神化されていったものではないかと考えられます。

ウマシアシカビヒコヂの異説。ヒコヂ=コヒヂ?

なお、前にも触れましたが、ウマシアシカビヒコヂのヒコヂは本来は「コヒヂ」(泥の意)であったという説もあります(大系紀補注)。アシカビとコヒヂという二つの言葉が伝承に含まれていたのが、語り継がれるうちに音がひっくり返ってくっついてアシカビヒコヂになったというのです。

実際、上に挙げた記紀の伝承を見ていくと、その大半にアシカビ(葦牙)という要素とコヒヂ(泥土)という要素がセットになって存在する(泥土から葦牙が出てくるというイメージを古代人は持っていたのでしょう)のですが、泥土の要素だけが欠落している記事もあります。

そして、そのような記事には必ずウマシアシカビヒコヂが出てきます。

そうすると、それらの伝承においては、ウマシアシカビヒコヂはもともとアシカビとコヒヂだったのだ、と考えるとつじつまが合います。この説が正しいと考えるならば、ウマシアシカビヒコヂが別天つ神にして配偶神も子も持たない男神という特殊な属性を持つに至った理由も理解できるのではないでしょうか。

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アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビはあくまでも高天原に成った神である

なお、アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビについては、古事記にも日本書記(第四の一書)にも、「高天原に成る」とだけあって、天地の混沌や虚空、幼い国土から成るという伝承はありません。

高天原は天つ神の住まう天上の世界ではありますが、始まりのときに現れる天地の混沌や虚空とは違うものです。実際、高天原は古事記の描写によると、人間の地上世界のように山川草木や田畑や天つ神たちの住居があります。

従ってこれは、始まりのときにだけあってやがて解消されていく、天地の混沌や虚空とは明確に区別されます。つまり、これらの神々(アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビ)は、元々の伝承では、天地の始まりのときに最初に現れた神々とはされていなかったと考えられます。

アメノトコタチに至っては、古事記と一書(第六)に一度名前が出るだけです。なので、クニノトコタチと対にするために考え出された神であろうと思われます。

本来の「最初の神」はクニノトコタチか

さて、以上のことから、いわゆる日本神話において、天地初發の時に最初に現れる神は、元来はクニノトコタチで、クニノトコタチ以前の五柱の別天つ神たちは、クニノトコタチの登場で始まる本来の姿の神話伝承に、後から付け加えられたものなのではないか、という憶測が成り立ちます。

ちなみに、日本書紀のように、クニノトコタチが最初の神であるとした場合、トコタチの「トコ」は「底」「床」つまり土台、「タチ」は「風がタツ、噂がタツ」つまり発生する、という意味に取り、のちに人々が住まうことになる国土の土台が現れたことを象徴する神と解釈することになります。むしろこちらの方が元々の意味だったのかもしれません。

加上説

ところで、このように、元々の古い伝承の上(クニノトコタチ〜)に、さらに遡らせて新たな伝承(アメノミナカヌシ〜)を付加する(加上する)ということは、神話や経典の類が編纂されるときにはしばしば行われるようです。このような仮説を加上説といいます。

例えば、旧約聖書創世記においては、冒頭の部分(一日目に神が天と地と光を作り、二日目に空を作り…)は祭司資料と呼ばれ、紀元前五世紀くらいに、続く部分(アダムとイブの話)はヤハウィスト資料と呼ばれ、紀元前十世紀くらいに作られたのだそうです。

また、中国の神話的歴史時代を記した書経と呼ばれる書物は、中国の伝説上の王である堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の事績から始まりますが、最初の堯・舜の部分は後に続く禹の部分よりも後に付加されたと考えられています。

このように神話や経典において起源を遡らせようとするというのは、(つじつま合わせや何らかの政治的理由が介在するという見方もありますが)、究極的なところでは、宇宙や人間の始源を突き詰めようとする人々の自然な欲求の現れなのではないかと思います。

現代の私たちにしても、文明の誕生、人類の誕生、生命の誕生、地球の誕生、宇宙の誕生、宇宙の誕生以前、といった具合に、どこまでも過去に遡って本当の始まりを追及したがります。それは、神話を作り上げた私たちの祖先から受け継がれた、なかば本能的な欲求と言えるのかもしれません。

豊雲野神

豊雲野神は、とよくものの神、と訓みます。雲と野の間に「上」とありますが、これはアクセントを指定したものです。たとえば、端と箸では同じ「ハシ」でもアクセントが違います。読んで字の如く、雲に覆われた豊かな野を象徴する神です。声調についてはこちら

さて、ここまでで国土の土台の発現または永遠性の象徴(クニノトコタチ)と、恵みの雨をもたらす雲に覆われた豊かな野の象徴(トヨクモノ)が出そろいました。次はその恵まれた国土で生命が次第に完成へと向かって行く様子を見ていくことになります。